子供を見ると、自分の子供時代を思い出してしまう。でもその思い出は、古典落語を何度も演じるよう思い出し方なので、何処か美化してしまうようだ。洗練されてしまうのだ。
当時、横への視野は狭かったが、縦への視野は、深かったように思える。視野と言うよりも、射程と言ったほうがいい。
例えば昆虫採集をしていて、もしかすると昆虫学者になれるのではないかと妄想できたし、チャンバラごっこ中でも、もしかすると格闘技選手になれるのでは、などの、あらぬ射程を見据えることができた。
大人になると、可能性が次々に消されていく。一つを選択すると、選択しなかった側の未来は視野から遠ざかる。
子供がとんでもない夢を語ったとしても、それは子供だから許される。よく分かっていないからだ。
子供に夢を感じるのは、何者になるかが分からないためだ。もう成ってしまった大人にとっては、見る夢はささやかなものとなる。