先日、お寺の廊下を素足で歩いた。土足で上がれないので、靴を脱いだのだ。偶然その日は靴下をはいていなかった。
柔らかい靴底の靴を履き慣れているだけに、素足で板敷きの上を歩くのは辛い。普段使っていない箇所に触れるのだ。豆ができているところなど、モロに応える。
その寺の本堂は千畳敷かと思えるほどに広かった。昔のヘルスセンターの大広間のようだ。しかし、寝転びは禁じられている。
いつも思うのだが、散歩していると、異質な文化圏をワープする機会が多いため、頭の切り替えがたいへんなのだ。
それでもお寺とか神社とかは、先祖の血が足の裏で覚えているためか、極あたりまえの場所に戻ってきたような気持ちになる。
僕らは決して、今の、皮一枚の、表面上だけで暮らしているわけではないことを知る。
知ったからとて「だからどうなんだ」と、整理する必要はない。