川崎フォトエッセイ  その74  運動会    ←前 次→  HOME


 運動を目的とした運動は、どうも胡散臭く思えてならない。運動を意識すると、それはもう運動のための運動になってしまい。何処か不自然な箇所が出てくる。

 僕が運動会が嫌いなのは、そのためで、走ったり体を動かしたりすることには意義はないのだが、走る順番を決めたり、練習をしたりすると、急にわざとらしく感じてしまい、これは不自然な運動だと認識し、気持ちが引いてしまう。あとは、軍隊生活や強制労働でもしているような雰囲気となる。

 走るというのは、やはり実用的な目的がないと、走るに値しない。遅刻しそうなので全力疾走するとかである。走って一等賞をもらうよりも、遅刻を免れるほうが、得点は高い。

 まあ、運動会や体育祭は、そのイベントを通じて団体行動力を養うとかの含みがあるのだろうが、ここでしくじった生徒は、取り返しのつかないほど団体行動アレルギーを起こしかねないのだ。

 運動は危ないのである。