清水焼とか九谷焼とか、名のある焼き物は、実用としての器以上のものが焼き込まれている。その証拠に値段が高い。
コンクリート塀を見ていると、たまに見事な焼き具合の逸品を発見することがある。無論これは作られたものではなく、自然にそうなったものだ。
金属の場合は、錆具合に良いものがある。実用としては錆びたり腐ったりしては困るのだが、工芸品レベルで接すると、清水焼を見る目と同じ位置で観賞することができる。
この種の、町中で見つかる焼き物(笑)は、誰が細工したわけでもない自然の悪戯なので、素直に観賞することができるようだ。展示や販売を前提とした商品と違い、値段の付けようがないが。
鑑賞用でない物体や現象を観賞してしまうのは、そのほとんどが偶然だ。美術館や工芸品展に行く場合は心構えがあるが、日常の中ではそれがない。それだけに、出会う感慨も加わるようだ。