懐かしさというのは個人的な思い入れなのだが、体験したことがないのに、懐かしく思うような風景もある。
それは、子供の頃、親から聞いた話とか、本、映画、テレビなどで知った風景が、あたかも自分の体験のように刷り込まれてしまい、その種のものに反応してしまう場合だ。
懐かしさの原因が何処にあるのかが分からない懐かしさもある。因果関係が明確でない懐かしさのほうが、さらに懐かしいのか。
懐かしさの原因を追及しすぎると、懐かしさが消えてしまいそうである。
懐かしく思ってしまう次元は、もう過去の次元で、今はほとんどアクセスしない領域である。止まっているのである。痕跡だけが残り、その先がない。何処かで新しいものと切り替わり、塗り替えられ、置き換えられる。
今風の風景も、いずれはその運命にあるのだが「昔の今」が、まだ営業(笑)している姿を見ると、絵にも言えぬ「懐かしの情」がこみ上げてくる。