川崎フォトエッセイ  その151  首地蔵    ←前 次→  HOME


 聖なるものは、結構まがまがしい。グロテスクなものが、意外と信仰の対象になるようだ。これは、日常からかけ離れれば離れるほど祭りやすいのかもしれない。

 祟りが怖いので、祟り除けのために、敢えて聖なるものとして、信仰するのだろうか。そして、プラス側に転じる意味から「御利益」がオプションで付く感じだ。

 その種の聖なるものの真横を高速道路が走る。発想のレベルが異なっている。しかし、車には「交通安全」のお守り袋がぶら下がっていたりして、繋がっている。

 結局は人間のやることだから、太古からその発想は変わらない。闇に対する畏敬の念が「個人的な祭り」に変わったとき、一寸危ない気がする。

 闇は、大勢の人々で背負いあってこそ秩序が保たれる。それは御利益やメリットよりも、魔除け的効果にとどまっている限りの話だが。

 闇が都会から消えるのは、ものすごく危険である。なぜなら割り切れないものの処理に困ってしまうからだ。