大阪の通天閣にビリケンさんが祭られている。あくの強い外国漫画のようなキャラクタである。
形式は、ものの見方をある方向へと導いてくれる。それは誘導されるといってもよい。他の選択ではなく、その形式が示すように選択せよ……という感じだ。
そのため、意外なものが意外な取り扱われ方で現出する。僕らはその落差を、形式の持つ意味で取り込んでしまうようだ。
特に信仰の場合、その例が著しい。「何でこんなものが信仰の対象に……」と思うことがあるが、それに慣れる、いちいち反応しなくなる。
日常生活の中でも、この種の現象が多々ある。信仰関係ほど荒唐無稽ではないが、本来なら敵であるものが味方になっていたり、正反対なものが、仲良く並んでいたりする。
世の中は整理整頓されているようで、かなりいいかげんな並び方をしているのだ。