よくある路地とは、本当に何処にでもある路地で、特徴を探すのが難しいほど、平凡な通りである。
しかし、よく観察すると、この時代の路地は、やはりこの時代の影響を受けていて、何処の路地にも共通するものがある。
道路工事で、何度も掘り起こされ、縫い目だらけになっていたり、安普請のブロック塀が続いていたりとか……。
それらは、この時代共通の波を受けており、どの路地も、似たような部品でできているのだ。それは、農村風景も同じで、竹の棒がプラスチックになったり、土や泥で固まっていた用水路がコンクリートにかわっていたりする。
何かの本で読んだのだが、芋を海水で洗う猿が現れると、誰がどう伝えたのか、遠くの猿も、同じ行為を学習していたとかの話を思い出す。
路地の文化も、きっとそれと同じで、いつの間にか似てしまうのかもしれない。