悲惨な光景は見たくない。なぜなら不安感や不快感を招きやすいからだ。そこに物事の真実があったとしても、見たくない真実もあるのだ。それは、見るときのタイミングによる。今、その真実に触れると、やっていにくい状況になるからだ。
例えば、食事中、便所のことは思い出したくない。食べると排泄するという真実がそこにあるのだが、それを思い浮かべると食欲が出ない。つまり、真実を見ようとしないのも真実なのだ。そのほうが都合がいいからだ。
人は真実をメインにして生きているわけではない。そのため、真実は最優先課題とはならない。
本当の姿を見なければいけない場合もある。そのときは真実と付き合うことになる。しかしその状況は、日常が何らかの形で危険な場合とか、特殊な場合だろう。
まあ、「不快ではない真実」も転がっているので、真実を見ると、不安や不快になるとは限らないが。