山の中にある岩や石には、自然の意志を感じる。石に意志があるのではなく、山の成り行きで、露出したり、妙な形をしていたりする。その形相を見た人間が、何を感じるのかは勝手で、その後は人が意志付けしてしまうようだ。
里に運び込まれた石には、当然、自然の成り行きなど無視されている。太古からその里にあった石なら別だが。
庭に、山奥から運んできたような石を置くのは不自然だが、珍しい樹木を庭に植えるのと似たようなもので、縁先から大自然の一部を拝めるメリットがある。これは、昔の日本人は、自然を生活の中に取り入れようとしていたためかもしれない。
石には人間の様々な欲求や欲望が託されており、配置されたときには、それなりの結界が生きている。ところが、何のために置かれているのか、忘れられたような石は、ただの石に戻ってしまう。