川崎フォトエッセイ  その212  銭湯の視線    ←前 →次  HOME

 最近はどこの家庭でも風呂がある。そのため、町内のお風呂やさんへ行く人が減っている。そのため、銭湯通いは少数派になってしまった。

 僕も少数派の一人として、駅前のお風呂屋さんへ行っている。駅前で勤め帰りの人たちと顔を合わせると、ちょっと恥ずかしい。着替えの下着とかを入れた洗面器片手に歩いている姿は、我ながら間抜けである。

 自宅風呂と銭湯の違いは、他者との絡みにある。家庭の外で、全裸になるわけだから、当然見知らぬ人から視線を受けることになる。それは特別な日ではなく、日常の中に組み込まれている視線のやりとりでもある。

 ものすごいお年寄りと湯船で遭遇すると、自分も年を取ると、そんな感じになるのだろうとか、いろいろ考えてしまう。また、小さな女児と遭遇すると、目の置き場に困ってしまう。

 それは、日常的な接し方だけに、見ているようで見てなく、見ていないようで、見ている。