別に意味はないのだが、「それ」を見つけると、ついカメラを向けたくなる。その「それ」は、もう何度も写したような、同じような風景である。それに拘るというはっきりとした意志もなく、かといって無意識的に写しているわけでもない。
そうなると「それ」との接し方は、単なる癖や習慣に属することになるのだろうか。しかし、あえてそれを探し出そうとはしない。偶然遭遇したとき、単に写すだけである。
それを考えると、僕にとっての「それ」は、日常的なものに近くなる。記念的でもなければ、特ダネ的でもなく、刺激物でもない。
「それ」は、やはり落ち着いた何かで、平常な何かなのだ。「それ」は僕の日常の中に常にあるわけではなく、他の場所にあり、そこで再会する日常なのである。
この種の「それ」は個人的すぎるため、あまり大きな声で言っても伝わらないかもしれない。