小さな子供にとって、路地裏の水たまりは、ちょっとした川であり、池である。笹舟や折り紙で作った船を浮かせることができる。
本物の池や川と水たまりとは違う。折り紙の船と、本物の船とは違う。違うが似ているのである。これを雛形と言ってしまうと、そのあとの矛盾が面倒になるが、それは大人の発想だろう。子供は、それが雛形ではなく、本物として見ている節がある。
確かに水たまりは本物である。水たまりとしての現実がそこにあるが、その現実は、決して池ではないし川ではなく、ただの水たまりでしかない。
大人になってから、その水たまりは、ただのぬかるんだ、歩きにくい道となり、靴を濡らすだけの存在になる。
子供時代、それを雛形として遊んでいて、大人になって実際のものを体験すると、雛形は必要ではなくなる。しかし、本物の船や池よりも、雨水でできた水たまりや笹舟とかの雛形のほうが、楽しいと感じるときもある。