何気ない日常の中に名画が隠されているような錯覚を覚えることがある。もちろん、絵画がそこにあるのではなく、額縁に入れて飾ってもいいほどの光景のことだ。
絵は見る側の好みで、価値が決まるはずなのだが、名画は名画であることで最初から価値を与えられている。その価値と、僕が感じる「好きな絵」とは当然違っている。
その僕の好きな絵も、インプットされた名画から来ているのかもしれない。現実の風景の中に絵画を感じるというのは、どこかで見た絵と似たものを見いだすためだろうか。
写真は簡単に写してしまえるが、それを絵として書く場合は時間がかかる。それだけによほど気に入った景色でないと絵筆を動かす気にはならないだろう。
日常の中で、名画を発見する喜びは、絵心を起こしてくれる喜びでもある。写真の場合、ほんの数秒で書き込んでしまえる。印象を印象のまま保存してくれる。絵筆で現実をなぞらないため、よりダイレクトに見いだすことだけに専念できる。