川崎フォトエッセイ  その398 賽銭箱    ←前 →次  HOME

 自販機と賽銭箱は違う。しかしお金を投入することでは同じだ。

 賽銭の金額は任意で、いくら投入してもかまわない。自販機では多すぎると釣り銭が出てくる。投入したお金に相当する品物が自販機では入手できるが、賽銭箱では、入手できるのは商品ではなく、願いとかなので、金額相場が定かではない。

 自販機も賽銭箱も、そこに投入されたお金は、オーナーのものになる。賽銭箱は、神様に渡しているわけではない。それに賽銭は商品を買うための金額ではなく、神仏に対しての奉納行為なのだ。しかし、神仏がいるかどうかは信仰上の問題なので、これは精神的な行為となる。

 精神的な行為といえば、映画や芝居を観るのも、それに近いところがある。しかし参拝は、もろに個人的な欲望や願いとかと裸で向かい合うため、よりダイレクトである。

 現実的に言えば、一円の賽銭で、願いが叶うのなら、誰も苦労はしない。やはり、神仏に願う行為が、その人の気持ちの強調となって、精神的に貢献するのだろう。