川崎フォトエッセイ  その425 パフォーマンス       HOME

 見捨てられたものは変化し、化けていく。人の手から放れた人工物は、違う軌道に乗ってしまう。

 朽ち果てようとしているものにも、独自の味わいがある。退廃の美とでも言うべきものがある。これは腐るとか劣化するとかのマイナス側へ落ちていくことなのだが、それをもう一度プラス側へ戻すことが不可能な状態の場合、もう機能的な手続きや対処も無駄なため、ただただ眺めるだけの存在になる。

 機能を失った事柄は、現実とはあまり関わり合わないし、人とも絡んでこない。つまり、見捨てられた存在となる。この存在は逆に現実から離れてしまうため、別の意味で距離を置いて接することができる。

 誰とも絡まないリタイアしたものは、取り片付けられるまでの間、それなりのパフォーマンスを演じている。当然それは商品化もされないし、パッケージ化もされない。偶然それを見た人だけが観客になる。