川崎フォトエッセイ  その432 誤解する現実       HOME

 現実は、別に隠されてはいないが、あえて表示させようとはしないことがある。つまり情報が絡んでくる。情報として上らない現実は、現実としての裏付けが薄いように感じやすい。

 情報は、何らかの価値あるものを伝えることに優先的で、さらに伝え方や扱い方によって、印象を変化させてしまいやすい。

 僕らが意外な現実に触れたとき、それはまだ情報として慣れていない現実で、予備知識がないままその現実と向かい合うことになる。

「世界は言葉によってできている」という仮説がある。情報価値のないものは「豊かに言語化」されない。そのソースは、野蛮、混沌などのカテゴリーに突っ込まれるようだ。

 僕らは現実を見る以前に、情報を見てしまい、そこから現実をもう一度見ている。そのため、現実は常に誤解されているのだ。