川崎フォトエッセイ  その449 現実と影       HOME

 現実の中にあるものは、単独でいるわけではなく、他のものとの競演によって存在している。

 そのものをだけを抜きだ出すことは不可能で、何らかの影がそこに入り込んでしまう。光を消すと、そのものが見えなくなる。暗闇の状態でも、そのものは確認できるが、視覚を通じてのそれではない。

 つまり日常的な感覚で接するというのは、雑多な混ざりものの中で接すると言うことだろう。観察している本人も、実はその混ざりものの一つなのである。

 人が見ている現実の世界は、何らかの影であるという説が昔からある。現物は背景にあって、その影を見ているだけという感じである。しかしその影は輪郭と濃淡だけではなく、もっと立体的である。だが、生の現実の立体も怪しいもので、単純な影と比べての話かもしれない。

 僕らは生きて行く上で、必要なものしか見ていない。しかし、それ以上のものを見ていたとしても、大した違いはないように思える。