川崎フォトエッセイ  その522  ワンショット      HOME

 普段暮らしている日常を絵にしていく場合、数え切れないほどのショット数があることがわかる。とてもではないが書ききれない。

 日頃は膨大なショット数を連続して見ているため、切り取ったような見方はしていないはずだ。それよりそもそも見ていないこともある。

 ショットやカットを意識するのは切り取られたスチール写真を見てからかもしれない。暮らしの中では意味として目の前のものを切り取ることはあるが、絵として切り取ることは少ない。この状態は日常から離れてボーとしているような状態でもある。または愕然とした状況になり、目の玉が止まってしまったようなときにワンショットで固まるようだ。

 絵として切り取られたショットは、写したときの意味など忘れてしまい、自然に近い感じで接することができる。この場合の自然とは、意識的になる以前のリアル風景のことだろう。