川崎フォトエッセイ  その524  構図の意識      HOME

 構図というのは強引なもので、勝手なものを結びつけて一つの世界にしてしまう。あるリアルな世界を任意の世界にしてしまうのだが、リアルな世界は構図の数だけあるのかもしれない。

 構図に意味が含まれているのがモロにわかると臭みになる。世界の切り取り方に癖があるためだが、癖のない切り取り方もまた存在しないため、程度の問題になる。

 リアルな現実世界は誰のものでもないが、それに臨む意識の数だけ世界ができてしまう。その意識も、その人のメインの意識ではなく、誰かの意識を真似ていることが多い。

 パターン認識は多くの人達の共通点でもあり、それによって世間ができている。そこからいくらはずれても、はずれた前歴も既にパターン化されており、自分だけの見え方というのも案外少ないものだ。

 構図的なものは使い分けたりすることで意識の綱渡りとなり、その軌跡がそれなりに個性的である。