川崎フォトエッセイ  その532  聖なる野生      HOME

 野性的なものには聖なるイメージがつきまとう。このイメージは、立ち振る舞いとしてのお手本になりやすい。

 野性的なものは身体と直結している。聖なるものはその純粋な振る舞い方にある。ただ、僕らが生きている社会や文化では、その振る舞いは場所とタイミングで秤に掛けられるため、聖なる野生はいつでも俗になる。

 聖なる野生は個人的で、自分の都合を純粋に切り取った世界となる。そのため一種の哀れを感じてしまう。

 純粋なものは、そうではない暮らしをしている人にとっては受け止め方が難解な事柄となる。

 世俗の中で暮らす僕らにとって、純粋でいられないことは誰もが確認済みである。そして純粋なものが持つ残虐さも見知っている。

 聖なる野生を演じられる人は、世俗で濁った人以上に、巧妙なのかもしれない。