川崎フォトエッセイ  その681  快不快の原則      HOME

 他人との齟齬感を初体験するのはいつ頃だろうか。齟齬感は、こちらに何らかの意識があるときで、それが旨く噛み合わないときに発生するようだ。要するに、こちらに欲求や欲望とがあるためなのだが、それなくしては生きていけないため、齟齬感はデフォルトとしてあって当然なのだ。

 自分一人の世界だけで生きていくことは不可能だ。世界そのものは他人が作ったもので、その上にある日、生まれてきたのだから。

 人間関係を閉じても、社会システムまで閉ざすことは出来ない。電気も水道も、自分だけの世界では作れないし、着るものも食べるものもそうだ。

 齟齬感が精神的なものであるとすれば、それは対処の方法はある。気持ちの問題は、気を取り直せば安価で解決する。

 快不快の原則は分かりやすいが、何が快感で何が不快なのかは、気持ちの問題でどうとでもなるため、この原則もあやふやだ。