川崎フォトエッセイ  その687  乗り物酔い      HOME

 乗り物による通勤通学は、移動中やることが何もない。徒歩だと「歩く」事がやることになるが、乗り物だとその必要はなく、移動と言ってもじっとしているだけである。

 駅の構内や乗り物内を歩いたりはするものの、ワープ施設へ向かう感じで、間接的にそれが目的地へ繋がる程度である。車両やホームを間違えば、目的地へは到着しない。

 車内での自分は、共同体の中の自分とは違い、人間関係は、最小限のマナーだけで繋がっている。相手の正体が分からないように、相手も自分の正体が分からない。ここではコミュニケーションすることは無理である。  ホームや車両内での自分は、間の抜けた存在であり、人ではあるものの、荷札を持った商品に近い。

 自分が何者でもなく、単なる人として振る舞う心境を続けていると、存在感が希薄になり、極端なことをしでかしやすくなる。