川崎フォトエッセイ  その748  余白       HOME

 混雑してくると、遮るものが出てくる。今まで見えていたものが見えなくなる。見えていたものが、漠然とした空間であり、大して意味がなくても、余白の拡がりが欲しいときがある。

 それを欲しがっている人が、その余白に住み着き、家を建て、自らが余白を狭めていく。

 余白だった場所が、街になり、しばらくすると、最初からそういう景観の場所になり、最初の頃の余白は古写真の世界になる。

 背景の手間に、次々に重なる人工物。その距離感は、拡がりよりも密度の濃さになり、見えない奥行きとなる。

 番地が細かく刻まれ、意味としての広さが出る。人家には生活臭があり、現在がある。それは田園のそれではなく、会社とかの社会と直結された匂いであり、間の抜けた自然の風景とは別物となる。

 そして、僕らが暮らしている街は、その種類の街であり、匂いの一端を自らも担っているのだ。