川崎フォトエッセイ  その783  鮮明度       HOME

 多少ぼけやていても、それが何であるのかのだいたいのことはわかるものである。たとえば視力の低い人が裸眼で見た多場合でも、およその感じはわかるはずだ。

 それは動物としての人間の行動では、それほど支障はないものの、細かい文字とかを読みとることはできないし、看板や標識なども見えていても判読できないかもしれない。

 ものが鮮明に見えすぎると、逆につっこみすぎた細部を見てしまう。これは情報量としては豊かになるのだが、必ずしもメリットになるとは限らない。

 僕らの目はカメラのレンズではなく、意味として、感情として、情緒を含めた上で、受け止めるような感じで見ている。つまり感情が乗っていたリミックスされていたりするわけだ。

 つまり、気持ちとかのレベルで見ているわけで、データとしての互換性はあるものの、決して一律ではない。