川崎フォトエッセイ  その810  全てにアート       HOME

 暮らしの中にアートを見出すことがあるが、それが作られ、仕掛けられたもの、またはパッケージ化されたものは、アート性も色あせる。

 アートに感じることが聖なるものを感じることと同じだとすれば、人が作った造形物のほとんどは超越行為を犯していることになる。

 太陽光が織りなす世界は聖なるものだ。それが何でもない物を照らしたとき、何でもなさの中に聖なる印象が絡みつく。乗り移ると言ってもいい。

 暮らしの中で、この種の現象はいつも起きている。気づかないだけのことだ。見いだせないだけだ。

 暮らしの中で作られたものは、アートを目指してはいない。確かに機能美や造形美は意図されてはいるが、第一の目的はそれではないだろう。

 だが、そんなものでも、アートになりうるのは、自然光という天然のアートが照らしてくれるからだ。