川崎フォトエッセイ  その896  街の深み       HOME

 入れ物が立派だと、本来の機能を失っても、残したく思うことがある。その入れ物の再利用で、工夫を凝らして、別の機能として使えるようにするとかだ。

 しかし、機能は諦め、装飾品や、置物として眺めているだけで満足することもある。

 初期の目的は既に失っていても、何らかのシンボル性は残るからだ。つまり、過去の履歴に意味があり、その意味は今の時代にも、そっと見せたく思うこともあるからだ。

 その種のものを残し、大事に保存するには、それなりの余裕が必要だ。機能だけを優先させたのでは、この余裕が死んでしまう。

 しかし、本当は整理したいのだが、処理する方法が見あたらないので、そのまま据え置くこともある。

 単なる散歩者が、その物体を見たとき、予定外の発見で喜ぶことがある。街の深みをそれにより知る思いだ。