川崎フォトエッセイ  その981  幹       HOME

 それが何の木かが分からなくなるほど表面が変化していることがある。

 ノーマルな状態の木でも、木の名前を知らないことが多いし、見慣れた木でもあまりにも大きすぎると別の木のように見える。

 いずれも、木と関わりのある仕事や、園芸とかに興味がなければ、木の名前などには興味がないだろう。誰かに聞かれたとき、即答できれば格好がよい程度かもしれない。

 自然にとって、木の幹もキャンバスとなる。ノーマルな幹が妙な描き込まれ方をしている。

 これを描いたのは人ではない。しかし、描くという発想は、人間の行為からきている。自然から見れば偶然そうなっただけである。

 人は人の目でものを見るため、人の営みと重ねてしまう。

 猫が爪を研ぐため板や木の幹を傷つけることがある。これを彫刻とは言わない。しかし、爪を研ぐ目的ではなく、何かのタイミングで猫も板に向かいアクションすることもある。何かの感情が起こったのだろう。その意味では絵と同じ意味が少しはある。

 

 

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