川崎フォトエッセイ  その1015  玩具       HOME

 おもちゃを自分のお金で買いに行ったのはいつ頃だろうか。幼い頃はそれほど行動範囲も広くはないため、近所の駄菓子屋だったように思える。今は駄菓子屋などめったにないのでコンビニや文房具屋かもしれない。いずれにせよ、おもちゃ屋のおもちゃは高嶺の花だったような気がする。

 駄菓子屋のおもちゃは安くてちっぽけだ。決して「本物のおもちゃ」ではない。そして大きくなるとおもちゃや模型を買いに行くことになるが、それは本物のおもちゃであっても、おもちゃは、更なる本物の代用品なのだ。

 つまり、おもちゃはバーチャルな物で、その先にある本物への憧憬が含まれている。

 玩具は弄ぶものだけとは限らないが、本気になって弄るものではない。遊びで弄るのだ。

 しかし、おもちゃがなくなれば、本物を弄ることになる。それはあまりにも危険なことだ。

 おもちゃと戯れ、本物と同じ気分を体験できるのなら、安上がりだ。むしろ本物より、おもちゃのほうが楽しめる。しかし、ゲームと同じで、現実的な何かを手に入れることは少ない。

 

 

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