川崎フォトエッセイ  その1049  連なり       HOME

 長く連なるようなものにも、何処かに終着点がある。それが共同のものとかなら、それなりに連なりが継続されやすいが、個人的なものは、その人が終わると、その連なりも果ててしまう。

 個人が、同じことを綿々とやり続ける行為は、たとえ惰性でも、続いていること自体が貴重なことがある。

 同じ事を長く続けるには、続けられるネタがないと、すぐに途切れてしまう。

 続けるつもりはなく、また、続けているという意識もないものは、かなり続くことがある。それが習慣化し、毎日ご飯を食べえるのと同じレベルになると、日常のことになるからだ。

 続けるために続ける行為は、無理がある。強い意思が背後で働いている状態は、不気味だ。

 いつ止めてもかまわないと思うようなことほど続くことがある。重きを置いていないものほど続くことがあるようだ。

 

 

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