川崎フォトエッセイ  その1052  記号前       HOME

 語りにくいものがある。それは言葉という記号では掬い取れないからだろうか。記号化されにくいものは、記号化する必要がないためかもしれない。元々分かりにくいものを記号にしても、その記号が難解となり、記号としての展開時にミスを招きやすいためだろう。

 敷居の低い記号は普遍性があるが、その範囲にも限界がある。解釈する側にバラツキがあり、同じ言葉でも理解の仕方が異なるからだ。

…と言うようなことを承知の上で、言葉は扱われている。言葉の行き違いは、誰しもが体験済みのことなので、真意を探る別ルートからの裏づけを求めることが多い。

 言葉や記号だけでは伝えにくいものは、あまり伝える必要がないものかもしれない。つまり実用性が低いと言うか、言葉にするほどのものではないレベルのようだ。

 しかし、非常に大事なポイントが、伝えにくいものの中に含まれていることもある。たとえば本当は否定したいのだが、肯定しているような態度をとり続けるような表現だ。