川崎フォトエッセイ  その1055  骨折り損       HOME

 人のために何かをしてやっても、まったく無駄なことになることがある。骨折り損のくたびれ儲けで、利益は「疲労」として蓄積されるのだろうか。

 自分自身のために、仕事になると思い、懸命にやったことが全く報われないこともある。確かに「疲労」しか儲けはないかもしれないが、それなりのキャリアにはなる。だが、そのキャリアをどちらの方向に使うのかによっては、意味が違ってきたりする。

 自分のやることに関しては、全てのことが無駄では終わらないで、最終的には役立つことになる…と言う発想もあるが、実際にはダメージだけ受け、死ぬまで足を引っ張り続けることもある。

 確かに自分の行為を正当化し、納得しておきたいのかもしれないが、無駄だったことを素直に認めることも必要だと思える。

 実際に骨を折るような事故にあったりすると、骨だけではなく、その周囲に損傷を受けてしまうこともあるため、後遺症を背負うこともある。無駄骨は折りたくないものだ。