川崎フォトエッセイ  その1060  欠落       HOME

 情報のある一部分が欠けていても、常識的な判断で、解釈してしまうことがある。

 それが、どう言う状態で欠けたのかを知ることで、判断も違ってくる。

 たとえば機械的なミスや、エラーで、欠けている場合、そこに作為的なものは感じられないと見る。

 欠けさせた状態を意識したものではない場合は、比較的分かりやすい。

 意識的に隠すことも当然ある。それは隠されていること自体が分からないような状態だと、欠けている情報があることさえ気づかない。

 隠すつもりはないが、省略されているものもある。いちいち断りを入れると五月蠅くなるからだ。それは分かり切ったこととして省略されているのだ。

 一般常識はそう言うところで、動いているのだが、その常識の根拠を問題にしたり、省略されていることに対して難癖を付け出すと、それは何に対しても完全な情報などあり得ないこととなり、常識の水平に乗れなくなる。