川崎フォトエッセイ  その1076  寒冷前線       HOME

 室内装飾の違いで、ちょっとしたワープ感を感じることがある。ある場所にはそれにふさわしい人達が集うようで、場所も人物も似たジャンルになる。

 場所に対しての違和感は、空気に漂う。その空気は、その場所を理解している人達に共通する雰囲気だろう。

 空気はバリケードにはならない。その気になれば、物理的に侵入出来るからだ。

 その場の人達が共有している空気は、外から見れば、暗黙の了解のような、謎めいたものを共有しているように見えるが、内部の人達は、当然のように、ごく自然に分かってしまっているものでもある。

 通常の店屋で、場違いな人が来ていても、それを追い出すようなことは出来ない。その理由がないからだ。どうして場違いなのかを説明することは出来るが、論理性は薄いだろう。

 その空間にふさわしくない人の存在は、確かに寒い存在だ。つまり存在そのものが寒いため、住み分けるしかないようだ。そのために、様々な場があるのだから。

 

 

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