川崎フォトエッセイ  その1139  辛辣       HOME

 人は人をよく知っている。それは、自分自身に近い仕掛けのためだ。

 それだけに、人の仕草は、自分の仕草などと照らし合わせながら判断することもある。

 相手と自分とでは違うのだが、同じものを持っており、共通することが多いため、理解の仕方も早い。

 しかし、具体的な身体の動きだけではなく、精神的な意味合いが含まれると、理解の中に辛辣な色彩を帯びることもある。

 例えば、貧乏人は貧乏をよく知っている。それだけに、相手の貧乏さに対しては、理解力が高い。

 しかし、理解や同情のレベルが、相手を見下すようなことになる可能性もある。

 自分のレベルから、ものを見てしまうと、その、レベルの性根が顕わになるからだ。

 あるものを、微笑ましいと見るも、貧者の嫌らしさと見るも、見る者の性根で、生理的に決まるのかも知れない。

 

 

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