川崎フォトエッセイ  その1163  祟り神       HOME

 宅地になる前からあったような祠や石仏などは、捨てるわけにはいかないので、何処かへ移転したりする。

 お寺とかが、それらをまとめて保存してくれることもある。

 この種のものは、何かの由来があり、何かのために、そこに置かれたと思える。もうその役目を終えたとしても、取りつぶすわけにはいかないだろう。祟りが怖いのだ。

 聖なる存在は、それが何の目的であったとしても、聖なる存在である限り、価値は見出される。

 祟りを沈めるための聖なるものが、逆に祟りをすることもある。それは、聖なる待遇を外されたときだろうか。

 昔から、人々は祟りを恐れる。理由が分からないような災難などは、祟り神の仕業にしてしまうからだ。

 時代が進み、祟る理由が判明しても、それが起こる根本的な運命的なものまでは解明されない。

 というより、人が遭遇する偶然性は、まだまだまだ神秘的なのだ。