川崎フォトエッセイ  その1269 余裕      HOME

 余裕は作ろうとしても出来るものではない。自然に余裕が生まれ、余裕のある時間や空間が出来る。

 余裕の必要性を感じ、強引に余裕を作ろうとしても、逆に余裕のなさを露見させてしまう。

 余裕のある芝居を、しばし続けても、何処かで戻ってしまうため、その時の「気づき」が気がかりとなる。

 余裕が出来るのは、文字通り精神的にも物理的にも、あるいは諸関係に置いて、ゆとりがあるときだろう。

 そのゆとりは、気分的なものではなく、物理的な現実の裏打ちで保証されている。

 しかし、ものは考えようであり、納得の仕方で、どうとでもなることがある。

 貧弱な状況や条件内であっても、解釈の仕方で、余裕の算出が可能だ。

 実力以上の物を目標にした暮らしなどは、余裕の算出どころか、余裕に関しては赤字になるだろう。

 

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