川崎フォトエッセイ  その1470 快不快の紐      HOME

 ある年代でなら許されることがある。

 また、その行為に関して、見る人が快も不快も感じないよくある光景として無視出来ることもある。

 年代が異なると、捉え方も変わり、その行為が不快として映ることが多い。

 しかし、人の持つ快不快の原則は、絶対的なものではなく、その日その時のコンディションで移ろうものだ。

 絶対に不快と感じることは、その人がそう決めているような感じがある。

 たとえば、苦手な食べ物も、それに気づかずに食べていることがある。

 気づいてしまうと、不快ネットが走るようだ。

 人は時や状況やコンディションで、いつもの自分である状態からずれることがある。固定された自分が動くのだ。

 固定するような決めごとを勝手に作っているだけなので、その紐は締まりが緩ければ綻びる。

 

川崎フォトエッセイ  その1470 快不快の紐      HOME