川崎フォトエッセイ  その1504 ある領域      HOME

 寺社は本来の目的や、その趣旨とは別に、その空間性が人々を引き寄せる。

 しかし、そこが寺や神社などである必要があるのは、誰が管理しているかに対しての背景が見えるためだ。

 特定の宗派に所属していなくても、寺社の領域に入ることが出来る。それは観光が目的であっても構わないためだ。

 当然、観光を歓迎していない寺社もある。準備がなされていないためだろう。

 誰でも出入り出来る寺社は、その空間性だけでも貴重だ。

 訪れる人々は、神仏の場に踏み込むのだが、その種のものは、実在していない。

 人間を越えたとされる存在のため、見ることは出来ないし、会話も出来ない。

 そういうものを認めるという前提で、その領域はある。

 寺社参りは名目で、実際にはレジャーの一つであることは、ある意味で健全かもしれない。

 

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