川崎フォトエッセイ  その1507 感受性      HOME

 繊細なものを見ると、繊細な気持ちになるのは、単なる影響だろう。

 それは何かを見れば、何かを気付かせてくれるためだ。

 見ることは、そのものに触れなくても、感覚が伝わってくる。それは想像の世界と言うよりも経験の世界だろう。

 刺激を受けるには、対象が必要だ。自分の内部にも対象はあるのだが、その出方はあまり刺激的ではない。

 刺激的とは、意外性とか、ワクワク感とか、体が反応することだ。

 外からの刺激は、何が来るのかは分からない。しかし、それを刺激と感じるのは受け皿の問題で、受け皿が関知しないと、刺激とはならない。

 何かを見て感じ入るとき、受け皿が「受けた」わけだが、それは外部の刺激が、注意を引くようなところを突いてくれたからだ。

 受け皿が安定しすぎると、何を見ても流してしまいやすい。

 しかし、やたらと感受性が強すぎると、何を見てもぼんやりしている人と同じことかもしれない。

 

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