川崎フォトエッセイ  その1536 水掛不動尊      HOME

 水をかけるアクションは、大した道具はいらない。

 聖なる物とのインターフェースとして、水をかけるという行為がある。

 水掛不動さんとかがそれだ。なぜ、不動明王なのかは分からないが、熱そうな仏様なので、水をかけて冷やすのだろうか。

 人の気持ちの中にある熱いものは、一種のエネルギーなのだが、尋常ではない。仏様などの世界から見れば、過激だ。

 また、熱い思いを抱くことは、必要以上のエネルギーを周囲にもたらせる。

 熱くなる思いもまた一種の煩悩だろう。

 不動明王的な面が個々の人々の内面にもあり、それに対して水をかけ、熱を冷やす鎮静行為が、水掛不動さんとのやりとりかもしれない。

 ただ清めるだけなら、水のかけすぎである。人に水などかけられないだろう。仏にもだ。しかし、自分自身に対してなら許される。

 

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