川崎日誌 2016年7月 川崎日誌  HOME


 



■■ 2016年07月31日 日曜日 午前7時07分
 
 今朝も暑く夏らしいが、夜中起きたとき、扇風機を切った。寝てしまうと、暑くないのかもしれない。梅雨明け後の猛暑は大したことはない。それに大阪方面は猛暑日は滅多にない。昨日は35度に達していたが、瞬間だ。ということは例年より暑い夏という予報は外れたことになる。今年はかなり暑いと脅されていたのだが、例年並みだ。そのためか最高気温比べも大したことはなく、37度とが平気で出ていた年に比べると、凌ぎやすいのではないかと思える。扇風機を付けても、寝苦しかったのだが、それがない。また、敷き布団の上に真冬の毛布をまだ敷いていて、そのままになっているのだが、その状態でも、ゆっくり眠れる。更に寝てしまうと涼しくなりすぎるので、この毛布が効いていたりする。当然朝、目を覚ますと、掛け布団をしっかりと掛けている。暑くない証拠だ。
 ただ、日中は夏なので、当然暑い。しかし、熱気で、日陰に入っていても何ともならなかった。
 しかし、8月に入って急に暑くなり、大変な酷暑になるかもしれない。これだけは分からない。
 前日、付けペンを買いに武庫元町の文房具屋へ行ったのだが、閉まる寸前、殆ど閉まっていたので、昨日は再チャレンジ。30分ほど早く出る。夕方だ。早く出ると、まだ暑いので、30分だけ。これで十分間に合うはずだ。
 夕方なので影が伸び、西日はまだあるが、影が多いので楽。その文房具屋、40年近く前に行ったきりで、そのときは上質紙を買っている。まとめ買いだ。どの文房具屋にもない紙で、この文房具屋だけにあった。だから、付けペンとかも置いているのではないかと、期待した。
 30分早かったので、開いており、中に入るとすぐにお婆さんがいた。この人だ。当時はまだオバサンだった。しかし、それ以前に店をもう閉めている可能性が高かったのだ。
 ペンを探す以前に、お婆さんと目があったので、付けペンはないかと聞く。ペン、ペン習字のペンと、あまり説明しなくても、すぐに分かったらしく、あれはもうないという。そして老婆は立ち上がり、ショーケースを開けた。そして、ペン立てのようなものを取り出し、カウンターのようなところに置く。
 これではいけませんかと、封を切り出した。確かにペン軸だ。先が取れないと言っている。つまり一体型のペン。先が交換できないだけのペン。要するにパイロットのカートリッジ式の万筆だ。しかし付けペンのそれに近いのは、これだけ。700円と900円のがあり、900円の方が上等で、ペン先が丈夫らしい。ここが妥協点というか、老婆は一番近い解答を出してきたのだ。つまり、付けペンのペンは、先が二つに割れている。そこがインクの道でもあり、弾力にもなる。つまり筆圧が伝わる。そして万年筆は万年使えるほど先に金が付いている。しかし、その900円のペンは、先を見ると、付けペンのカブラペンなどと同じで、書けばちびていき、太くなる。だから、万年使えない。そのため、ペン先が売られている。
 この900円ペン、パイロットの製品だが、以前、買ったことがある。万年筆との違いは、ペン軸が長いこと。これが特徴だ。そして長くて手に合わないときは、折った。だから、これは折って使うものなのだ。残念ながら、樹脂製だったが。
 カートリッジ式、これでもう油性ではないことが分かる。セミの腹のようなギザギザがあり、あそこから汁が出て来るのだろうが、油性では詰まってしまう。だから、油性インクは万年筆では無理だ。
 では付けペンは世の中から消えたのか。老婆が最後に出した、このペンで終わりかと言うことだ。しかし、油性インク、これは製図用インクだが、墨汁でもいい。それに先だけつければいいのだ。付けペンだ。つまり、ペン先だけを頂くと言うことだ。そうなると100円ぐらいのペン先が1000円近くなる。まあ、この一体型付けペン、ペン先は普通のペン先よりも丈夫なのだろう。だから700円と900円の差が出る。高い方は摩耗が少ないか、殆どちびないのだろう。だから、万年筆に近い。
 ところが、カプラペンやGペン、丸ペンなどは、人物のメイン製を引くときは、そのままでは細すぎて無理なのだ。うんと力を入れれば、先が太くなるが。
 老婆がショーケースから出してきた瞬間、もう分かっていたのだが、この老婆がまだ生きて店に出ていることで、参拝料として、高い方を買った。以前なら、幼稚園の人やね、といつも間違われるのだが、昨日それがなかった。似たような人が近くの幼稚園にいるのだろう。当然、もう退職しているはずだ。
 勘定を払うとき、横にいた嫁か、孫が、バイトがレジを任されていた。包装もその娘がやっていた。しかし、この老婆の知識は、生きた文房具史だろう。
 当然百均のバイトに聞いても分かるはずはない。付けペンがいつ頃まで売られていたのかを、知っている。そして、文房具の数は膨大。それらを何となく把握しているのだ。画用紙を一枚売りしていた時代の人だ。ペン先も一本から買えた時代。当然、他の文房具類でも同じことがあるはず。
 結局こちらが付けペンを使わなくなって40年ほどになるのだが、タチカワのGペンが製造中止、と言う情報が入ってきていた頃から、衰退が始まっていたのだろう。その後、買っていないので、知らなかったが、付けペンで漫画を書くというのは、今の新人はどうしているのだろうかと思う。
 ただ、世の中から付けペンが消えたわけではなく、舶来ものがあるはず。画材店へ行けば、見たこともない形をしたペン先が売られているはず。普通の文房具屋、オフィス用品店では需要がないためか、売られていないと言うより、作られていないのだろうか。
 ちなみにその武庫元町の文房具屋へ行くまでの道で、塾がある。ペン習字の看板がある。このペン字はボールペン習字のことかもしれないが、それではペン画らしくない。万年筆では何となく違う。やはり、あのパイロットの一体型ペンを使うのだろうか。筆は何処にであるが、ペン軸はない。ペン先もない。
 しかし、驚くべき情報があった。そのパイロットのペンの説明の紙に、チラリと広告が入っていたのだ。ペン習字通信講座の。実際には鉛筆で書いていたりしそうだが。要するに綺麗な手書きの文字を書く練習だろう。そのペンとは、ボールペンでもサインペンでもいい。ペンと名が付けば。先が固くて尖っているものでいい。ガラスペンもあるほどなので。
 要するに命中率が高い。精密に書けると言うことだ。尖っている箇所の足が長い方が、更に命中率がいい。ここというところに線が置けるからだ。また、引いた線の端に、さっと命中させやすい。
 さて、次は製図ペンだが、これは大きな文房具屋というよりデザイン用品を売っている店でないと無理だろう。梅田の御堂筋線改札、阪急からの地下の終わりあたり、新阪急ホテルへの登り口近くにある、地下二階の画材店。名前を忘れたが、あそこが昔はメッカだった。阪神のファストフードコーナー近くにある画材店は洋画系。油絵などは、そこだろう。
 当然紀伊國屋の文具コーナーもデザイン用品も売られていたが、今はどうだろう。そのコーナー、もう何十年も覗いていない。
 製図ペン、ロットリングと言っていたが、これは商品名だろう。他のメーカーも製図ペンを出している。注射器の針のようなところからインクが出る。まあ、烏口のようなものだが、あれは直線を引くもの。製図ペンは先が円なので、曲線が引ける。フリーハンドで。これが貴重なのは、インクが油性のためだ。そのため、根詰まりしないでインクを通すのは大変なことだ。放置していると、インクの通り道を水洗いしないといけない。一本2000円ほど。当然太さは一定なので、何本か揃える必要がある。放置すると、一発で出なくなる。
 そのメンテナンスは付けペンの比ではない。付けペンならペン先は10円ぐらいだったので、捨てればいい。そして、付けペンは削って使う。好きな太さになるまで。その削り石がステットラーから出ていたりした。また、書けば書くほど滑らかになるのは、削り癖ができるためだろう。ちび癖だ。その人の角度に合わせて。
 メンテナンスの大変なロットリングが、先が樹脂製のサインペンになっていった。もう先に穴は空いていないが。これは当時でも高くても200円ほど。それの上等なのも売られていた。しかし水性だったりするので、そこからがサインペンの健闘がある。まあ、実際にはインクだ。顔料などを使い出した。そして水性だが耐水性があるタイプが。これでロットリングの役目が終わる。水で濡れても、滲まないインクを使うようになったからだ。油性のマジックインクは水を掛けても滲まないが、書くときにインクそのものが滲む。
 というのが、今の百均などで、すらりと並んでいる。これが最新兵器なのだろう。しかも100円。
 金属的な硬い線。目一杯力を込めて書きたい人はボールペンだろう。ただ線のエッジに切れはないが滑らかにインクが出るようになった。油性なので、滲まない。太さも1ミリを超えるものもある。
 要するには解答は百均にあったことになる。この時代らしい。
 それらはパイロットやゼブラなどのメーカーものだ。
 


■■ 2016年07月30日 土曜日 午前7時27分
 
 今朝は晴れており、そして暑い。いつもの夏で、夏の真っ最中という感じだ。だから、特に言うようなことではない。暑さも緩和状態で、こんなものだろうと日常的になっている。しかし、この暑さ、いつまでも続かないのは四季があるためだろう。そのうち去りゆく夏を懐かしむ、ということになるだろうが、今はその最中で、まだ去りゆく気配のない、夏そのものの中にいる。あとで思うと、あれが今年の夏だったと言うことだろう。ただ、暑い暑いだけでは印象に残らない。暑い最中、滅多に行かない場所を歩いていたとか、そういう覚えやすいものがいるだろう。ただ、そちらのネタの方が大きいと、暑さは二の次で、夏そのものも二の次になる。だから、夏らしい場所へ行った、などのように、話と結びついている場合は夏の日の思い出としてふさわしい。
 だから海辺とか、避暑地とかが、夏の歌ではよく出てくる。どちらも季節は夏真っ盛りではなく、秋の気配を入れて情感を出す。これが去りゆく夏の効用だ。
 8月に入ると、この夏も、そろそろと感じるようになるだろう。秋の虫が鳴き出したりするためだ。そしてコスモス街道へと続く。
 昨日は暗くなりかけたとき、自転車で走っていた。夕方になると、それほど暑くなくなっている。
 昨日も画材用具集めで文房具屋へ行った。百均ではなく、文房具屋。百均では付けペンがないためだ。しかし、文房具屋がない。いつも通る道沿いにある商店街に文房具屋はあるが、ここは顔見知りがいる。もう年を取って亡くなられたかもしれないが。狭い店だが、残っているのは知っていた。しかし、この小さな店、本店と言うより、株式会社の本社だったりする。実はオフィス用品を事務所とかに納める業者なのだ。そのため、車を何台も持っており、潰れた喫茶店を買い取り、そこを倉庫にしたり、広い目の喫茶店だったので、駐車場も広いので、車庫にしていた。それだけではなく、この社長の自宅も事務所で、本社ビル。だから、決して小さな文房具屋ではないが、不思議とのこの社長は本社にいないで、この小さな文房具屋にいつもいる。だから、どう見ても文房具屋の親父にしか見えないが、実業家なのだ。
 そして文房具屋だが、あと思い付くのは、伊丹駅ビルの中にあったような気がするが、電車の客なら寄りやすいが、近所の人だと自転車が止められない。近付けない駅ビルショッピング街になっているので、殆ど行っていない。
 次に思い出したのが、いつものショッピングモール内にある本屋だ。ここで本を買ったのは、フェースブックの使い方という本だ。だからフェースブック日本上陸の頃なので、最近ではない。Evernoteの使い方も、ここで買っていたように思う。いずれもネット向けの本。しかも実用書。
 この本屋の中に文房具コーナーがあることを思い出したのだが、ない。あった場所は覚えているのだが、ない。本屋の欠片も残っていない。その通路に本物の文房具屋も合ったことも思いだしたが、オシャレ文具などが置かれていたが、これもない。本屋とセットで壊滅していた。見事に抜け落ちた。この本屋の閉店はそれほど古くはないだろう。なぜならその近くにあるいつもの喫茶店で、客がその本屋のビニール袋をぶら下げて、喫茶店内でいつも本を読んでいたからだ。だからまだあるものだと思っていた。そう言えばその客、そのレジ袋をぶら下げていない。中身は雑誌だったが。
 本屋があちらこちらで消えているが、文房具屋もそうなのかもしれない。何となく似ている。だから本屋内に文具コーナーがあったりする。
 それは昼間の話だ。このあと忙しい。ついでに自転車を見る。同じモール内にある。ここはサービスというか接客がいい。自転車屋の親父ではなく、スーツ姿の女性が案内してくれる。自転車屋の店員は全員作業着だろう。修理もするのだから。しかし、接客だけの店員がいる。助っ人だろうか。チェーン店なので、たまに来て接客するとか。
 アルミのママチャリが一番高くて3万円。オートライトはあるが変速機がない。変速機を付けると、それだけ重くなる。だから、アルミ車の軽さが目立たなくなるのだろうか。
 5速か6速でオートライトが25000円から27000円。これは26インチと27インチの違いだろう。場所柄、カラフルなフレームカラーだ。
 それを見たあと、十年ほど前に買った自転車で、買った自転車屋へ行く。こちらの方がチェーン店規模は大きいし、また店も広い。値段はこちらの方が高い目だったが、似たタイプが四種類ほどあり、選択の幅があるため、逆に面倒になった。その日は見学で、買う気はない。
 さて、文房具は夕方になる。いつもなら夕方のスーパー経由の自転車散歩。最近では村探索だが、大昔に紙を買いに行っていた文房具屋があることを思い出した。漫画用の上質紙だ。この紙は滅多に売っていない。それこそ大阪の松屋町まで買いに行く人がいたほどだ。紙問屋だった。
 その上質紙、グラムで、値段が決まる。分厚いほど高い。まあ、模造紙の分厚いもので、ケント紙ではない。また画用紙でもない。今で言えばコピー用紙の分厚いものだろう。
 この文房具屋へ、自転車で走っていくことにした。しかも夕方なので、もう時間的には遅い。場所は武庫元町だったと思う。ATOKで出ないので、町名変更になったのかもしれないが。
 お隣の村である武庫之荘ではなく、武庫川のすぐ横だ。それほど遠い場所ではないが、時間が遅い。
 やはりその心配が当たっていた。商店街の中に、潰れないで、その文房具屋は残っていたが、シャッターが閉まりかけていた。途中で止めて、片付けをしているのだろうか。この文房具屋へ最後に入ったのは、紙を買いに行ったときで、もう何十年も前の話。そのとき、少し年の取ったおばさんがいた。紙を買いに行くと、幼稚園の職員といつも間違えられた。そういう人がいるのだろう。そのオバサンもお婆さんになっているかもしれない。生き残っているのはオフィス用品を扱っているためだろう。大量の封筒とか、そう言ったものを。
 それで、戻ることにしたが、もう暗くなり始めている。当然カメラを持ってきていたので、撮しながら、という気もしないが、何に遭遇するかは分からない。団地の巨大な給水塔が消えている。もう必要ないのだろう。
 そして、遅くまでやっている文房具屋を思い出した。昆陽のイズミヤだ。武庫川沿いからは近い。このあたり、常松村がある。その神社を初めて見た。奥まった場所にあるので、路地の中に入り込まないと、分からない。これは後日見に行くことにする。
 つまり、武庫川沿いから昆陽のイズミヤまで、最短距離で斜めに走ったため、その神社を引っかけたのだろう。
 イズミヤの文房具コーナーは雑貨品と同じフロアにある。だから、レジは一つ。
 普通の文房具を売っており、それなりに広い。まあ、文房具なので、大きなものはあまりないので、それでいいのだろう。
 しかし、ペンやペン軸などはなかった。当然証券用のインクや、製図用のインクも。ここでなければ、もうないだろう。
 よく考えると、文房具屋でペン先を買った記憶はあるが、ばら売りだ。十個とか五個とか、一個でもいい。10円ぐらいだったと思う。そういう売り方が最近はできないだろう。駄菓子屋でお婆さんが飴の入った瓶から、「何個」と聞きながら飴玉をつかみ出して売っているようなものだ。
 そう言えばペン軸がビニール包装で売っている姿も見た記憶がない。ペン先も、売り方が難しいだろう。しかし、ペン先はグロス買いしていた。オバサンがケースからペン先を摘まんで、何個というときの、そのケースごと買っていたのだ。
 それで思い出したが、そのとき買っていたのはGペンで。普通の文房具屋でも置いていたが、タチカワだったと思うが、そのメーカーのものが硬くていい。しかし、どうも製造中止になるらしく、タチカワのGペンが消えるとの噂があり、グロス買いした記憶がある。これは四十年以上も前の話だ。つまり、その時代の記憶のまま、動いているのだ。だから、売っていなくて当然だろう。
 結局、付けペンで書いていたのは初期の頃で、ペンタッチを活かした線はあまり引かないで、太くなったペン先で、同じ線幅の線で引くようになった。これが自分が見つけた線だ。これで絵柄が決まった。劇画にしないで。
 だからペン先のバウンドというか、筆圧で、コブシを効かせた臭いペンタッチにはしなかった。そのため、四十年ほど前には製図ペンで書いている。これは高い。しかし同じ太さの線が引けるので、こちらの方が自分の線なのだ。その後、製図ペン、当時はロットリングと呼んでいたが、それからサインペンに変えた。そこからが長い。これが二十歳後半だ。だから、何十年もペン先やインクを買っていないので、文房具屋での記憶はもうかなり古い。だから、文房具屋へ行けば、ペン軸が並んでおり、ペン先も小さなケースに入ってばら売りされていると思っていたのだ。これは大きな間違いだ。パッケージ化できないのだろう。
 オバサンが手で摘まんで売る時代ではなく、レジ籠に入れて、レジ台に運ぶ時代になっていたためだろうか。バーコード問題がある。
 付けペンは絶滅したのだろうか。あるとすれば画材店だ。油絵や水彩画、エッチングがあるように、ペン画というカテゴリーがある。しかし、鉛筆画は聞くが、ペン画は最近聞かない。
 さあ、それで、サインペン、ボールペン、筆ペン。この中から選ぶことになると、やはりサインペンだろう。これがキャリアとしては一番長く、熟知している。油性ではなく、耐水性のあるサインペン。筆ペンの黒々とした色もいいが、筆圧を使わないので、筆のメリットがない。油性はどうしても滲む。ボールペンが製図ペンに近い力み方ができるが、やはりサインペンの軽さには叶わない。まあ、筆ペンは、毛筆ではなく、最近はサインペン化している。
 さて、昆陽のイズミヤだが、なくなるか、吸収されるか、何か別のものになるらしい。そのアナウンスがあった。要するにポイントカードをどうするかという話だろう。
 その戻り道、その近くにリサイクルショップがあることをネット上で見付けていたので、そこへ寄る。既に夜だ。ドアを開けると、いきなりデジカメ。これはレジに近いためだろうか。
 ざっと見るが、コンパクト系が多い。キヤノンイオスx系がダブルズームキットで1万円代。キタムラよりも安い。オリンパスの高級コンパクト、これは名機と言われている機種だが、2万円。レンズが明るく、液晶が回転する。かなり重い。
 あとは5千円前後のコンパクトカメラがずらりと並んでいるが、結構古い。富士のネオ一眼HS10が2万弱。これは普及機で、あまり特徴はない。700グラム近い。
 まあ、お得と言えば、キャノンの一眼レフだろうか。ボディーではなく、レンズだけでも、こんな値段ではない。ただ古いため、キタムラでは現状渡しレベルかもしれない。レンズ内埃、テカり、ファインダーに目立つゴミ、等々だろうか。しかし、光学式の一眼レフが1万円代で手に入るのだから、夏休みの実験教材としてはいいのかもしれない。生まれて初めて買った一眼レフは、コニカの鉄の塊のような中古だった。そのときの値段と変わらない。コニカの一眼レフ、露出計も何も付いていなかった。まるで賞味期限の切れたフィルムで写したような絵になった。
 そして、その帰り道、すっかりお腹もすき、帰ってからおかずを作るのも面倒だし、イズミヤでおかずを買うのも忘れていたので、久しぶりに吉野家の牛丼を食べる。味噌汁を付けると結構高かった。しかし、注文を取りに来たバイトが、アイドル並の美少女だったので、驚いた。客がそのためか、多かった。
 
 
■■ 2016年07月29日 金曜日 午前7時12分
 
 今朝は晴れており、夏らしい。しかし夜中起きたとき、涼しかったので、扇風機を止める。熱帯夜だったのだが、不思議だ。まあ、朝方寒くなるのは確かだが、寝ているので、止めにいけない。それがまだ浅い夜に止めたので、気温との関係が分からない。湿気の関係だろうか。カラッとしているとか。蒸し暑くなかったとか。
 昨日の夕方、少し自転車でうろついたが、それほど暑くなかった。まだ陽射しがある頃だ。暑い日は熱気が夕方も残っており、逆に暑かったりする。日陰に入っていても、あまり効果がないような。そういう暑さは滅多にないが、暑くて外に出られなかった夏もあった。部屋の中にいても暑いのだが、外は更に暑い。日が完全に沈んでからでないと出られないような。
 昨日の大阪方面での最高気温は34度ほど。35度にはなっていないので、猛暑とは言えないが、十分暑い。30度を切ると何とかなるのだが、28度ぐらいでないと、陽射しのあるところをウロウロしにくい。春先の暖かい日、これは寒くない程度の暖かさが、陽射しのあるところは暑く感じ、日陰に入った覚えがある。気温的には大したことはない。春先なのだから。
 暑さのレベルで高いのは猛暑だが、その上は酷暑とか炎暑とかがある。燃えているのだから、火が付くほど暑いので、これは100度ある。言いすぎだろう。
 昨日は暑いので、あっさりとしたカメラを持ち出した。暑苦しくないカメラだ。
 富士の15000円のネオ一眼で、これは特価で売られていた。少し型が古いが、中古ではなく、普通に売られている。今もエディオンにある。電子ファインダーのないネオ一眼で、グリップが突き出ており、望遠は900ミリまで伸びるが、沈胴レンズで、飛び出しが少なく、しかも軽い。そして乾電池仕様。
 これは年寄りカメラ、老人カメラとして、何度も触れたカメラだ。そのため、ホワイトボディーにしている。
 スペック的には、これでは、というカメラなのだが、結構よく写っている。そのため、それよりも高い目の高画質タイプのカメラは何だったのかと思うほど。まあ、周辺部は流れているし、レンズ的にはよくないのだが、中央部は非常に鮮明だったりする。それよりも、雰囲気のある写真になる。薄暗いところでは鮮明に写らないのだが、独自のにじみのようなものがあり、これがフィルムで写したような絵になったりする。
 背面液晶だけの撮影になってしまうが、意外と液晶が見やすい。解像力云々ではなく、反射に強いのか、見えなくなりにくい。またそれなりに明るいので、見やすい。
 ポケットに入る超望遠付きデジカメもあるのだが、富士のこのカメラは少し大きく、重いので、ポケットは無理だ。しかし、そのおかげではないが、グリップが効いている。これは杖だ。ボディーはぱりぱりのプラスチックで、メカメカしていない。シャッターボタンもプラスチックなので、押し込んだときの感触もカサカサだが、まあ、撮しているときは、あまり感じない。
 AFは昼間なら問題はない。さっと合う。ただし、ピントは中央部でしか合わせられない。まあ、別のところに合ってしまうよりはましだろう。真ん中あたりで一度合わせて、半押しを保てばいいだけだ。
 その他、特に操作は必要ではない。このタイプのファインダーのないネオ一眼、他にも色々と出ている。新製品もあり、ニコンが頑張っている。キヤノンも出しており、非常に小さい。このタイプ、杖タイプではないが、グリップタイプデジカメと言われている。グリップが飛び出しており、レンズも最初から飛び出ている。富士の15000円のタイプだけが特別で、沈胴なので、電源を入れなければ、グリップとほぼ同じ飛び出しなので、鞄の中では嵩張らないが、逆に取り出しにくい。
 
 昨日も百均で画材を買いに行く。水彩絵の具、パレット、筆、筆洗い。どれも百円。筆などは五本ほど入っていたりする。筆洗いは三層に別れていたりする。これは西日本最大と言われている近所のダイソーにはなく、フレッツにあった。水彩絵の具など使う機会がないのだろう。クレヨンや色鉛筆、カラーマーカーが主流だ。当然カラーペンも。
 ボールペンも買う。太さ1ミリのボールペンで、これは三菱のユニだ。確かに滑らかにインクが出るが、ボールペンはボールペンだ。水分が足りない。そして力がいる。
 油性ではない滲まないサインペンも試し害する。確かに以前よりよくなっているが、油性に比べ、やはりインクが薄い目。一番濃い黒が出るのは油性サインペン、または筆ペンだ。
 水彩絵の具がなくても、色鉛筆で塗り、水を含んだもので擦れば水彩になる。ダイソーはその方式と、固形水彩絵の具があった。だから普通のチューブ入りはいらないのだろう。アクリル絵の具は置いてあるあるし、布張りのカンバスもある。こちらは不透明絵の具で、油絵のようなもの。流石にポスターカラーなどは置いていない。あれはもの凄く広い面積を塗るとき用だろう。ポスターほどの大きさの。だからポスターカラーか。
 色鉛筆は10色。カラーペンは20色、クレヨンは40色。まあ、クレヨンの40色は、短いためだろう。
 色鉛筆は透明水彩、クレヨンは油絵。いずれもパソコンで塗れば、一瞬なのだが。
 線画で使いやすいのは、耐水性の水性サインペン。唾を付けて擦ってもびくともしない。油性サインペンの方が色は濃いのだが、星が出る。つまり止めると滲む。耐水性サインペンは以前よりも濃くなっており、モノクロ印刷なら黒として出るだろう。カラー印刷では、黒は一色ではなく、黒さにも幅がある。所謂グレースケールだ。だから、サインペンの黒は、少し灰色っぽくなるかもしれない。
 残る葉付けペンだが、これは百均では置いていなかった。よく探さなかったためだろうか。ものが小さいので。しかし、もうそんな時代ではないのだろう。需要がない。ボールペンとサインペンの細いタイプで、付けペンの役目は終えたのだろう。
 毛筆も、筆ペンの時代。だが筆その物は売られており、墨汁も、半紙も売られているのだが、これは習字の授業用だろうか。
 

■■ 2016年07月28日 木曜日 午前7時07分
 
 昨日は夜になっても気温がそれほど下がらず、そのため熱帯夜。流石に寝入るときも暑いので、扇風機をつけて寝る。身体にぴったりとくっつけるのではなく、スイッチを。
 これが梅雨明け後の猛暑の始まりだろうか。しかし、大阪では35度に達していないので、まだまだだ。もう7月も末。暑さのピークもそろそろだろう。
 やはり暑かったのは梅雨の頃で、または梅雨前の方が暑かったのではないかと思えたりする。梅雨の晴れ間が暑かった。あれを越える暑さは梅雨明け後、来ていない。来るとすれば、今だ。ぼやぼやしていると8月になり、真夏が行ってしまう。
 真夏が行ってしまうと思うのは、夏祭りが行ってしまうためだ。しかし、暑い盛りを過ぎると、寂しくなるかもしれない。
 日中は暑いので、自転車散歩はできないが、これは気候がよくても、それほど遠いところまでは行かないが、近場はウロウロする。特に朝の喫茶店からの戻り道がチャンスだ。日によって、暑くないことがある。晴れの日は無理だが、曇っていたりすると、何とかなる。
 それと夕方。こちらは暗くなる寸前がいい。しかし、朝夕では遠くまではいけない。それなりの用事があるのなら、暑くても出掛けるのだが、別に出なくてもいいような散歩では、控えてしまう。暑い最中出掛ける必要がないためだ。昼寝している方がよかったりする。
 ここしばらくはそれほど暑くないのか、昼寝ができる。暑い日はできない。しかし、一応は横になり、じっとしている。これだけでもかなり違う。眠ってはいないが。
 昨日も画材を見に、百均へ行く。やっと画用紙が見付かった。カラー画用紙しか売られていない。その中の白だ。だから、探さないといけなかった。画用紙は白いと思っていたのだが、白もあるという程度になっている。別に絵を描くためにあるのではないのだろう。図工、工作にも使うため、色が付いている方がいいのかもしれない。それなら色紙があるではないかと思うのだが、あれでは薄すぎて、貼るにはいいが、工作には無理なのかもしれない。
 そういう紙、A版とB版と、変形がある。そしてA版が多い。ノートやレポート用紙、コピー用紙、殆どがA版だ。昨日はB版の画用紙をやっと見付かった。意外と習字の半紙が売られていて、それなりに種類も多い。これは習字の授業でもあるのだろうか。そう言えば文房具は減ったり、なくなったりしたが、百均やコンビニが文房具屋になっていたのだ。ただ、普通の文房具屋と違い、その店にしかないような品がない。例えば模造紙や、上質紙だ。また、それなりに上等な画材や製図用品を置いていたりする。コンビニや百均では同じ品しかないので、そこが違う。
 小学校の門の前などに、昔は文房具屋があった。子供の頃は三軒ほどあったように記憶している。貸本屋も門のすぐ前にあった。大きな門が二つあり、それぞれにあった。校門のどん前でヒヨコや手品の種などを売っていた。
 百均で画材を買った後、おやつも買う。これはおやつコーナーではなく、レジ横に置かれている。買いやすい。メロンパンとかも。
 百均からエスカレーターで降りていくと、上新がある。ついでなのでカメラを見るが、この前も見たところなので、目新しいものはないが、注目しているカメラはある。これは年末からマークしているニコンの1インチミラーレスだ。50ミリ標準レンズ付きのキットがまだ売られている。そろそろ新製品が出てもおかしくない時期だ。
 このキットもの、標準ズームも付いている。だから標準の単焦点レンズとだぶってしまうのが難だ。昨日の上新では、その50ミリを付けた状態で飾られていた。横にズームもあるのだが、そちらの方が小さく軽い。沈胴電動ズームのためだ。しかし、持った感じ、レンズが出っ張っている50ミリの方がしっくりとする。単焦点なので、ズーム操作はない。だからレンズを握れても暇だろう。
 この1インチと50ミリのコンビが、このカメラの目玉で、売りだ。1インチコンパクト機がものすごい勢いで伸びているようだが、50ミリ単焦点だけを使えるのがいい。つまり50ミリフナ釣りレンズ路線だ。
 これは正月あたりから、考えていたことなのだが、なかなか実行できない。50ミリ標準レンズだけではやはり不便。引けない寄れない。しかしズーム操作をしなくてもいいので、シンプルだ。コンパクト系では広角が起ち上がりになる。ズーム操作をしなくても別にいいのだが、広角ばかりで写してしまうだろう。ズームレンズは真ん中が標準だが、両端ばかりを使ってしまう。ズームなので、止めにくいのだ。これは手動ズームでも似たようなものだ。単焦点レンズを使う人は、その写りがズームよりはいいためだろうが、それよりも、ズーム操作をしなくてもいいためかもしれない。単焦点の方が明るいが、屋外ではオートでは結局開放にはならない。
 1インチに拘らなければ、ペンタックスからも小さな一眼レフが以前から売られており、50ミリ標準ズームもある。ただ、ニコンの1インチ一眼レフは液晶が回転する。しかも液晶は軽く起きる。これが固いと使う気がしない。まあ、1インチコンパクト系の殆どは液晶が回転する。これはアイレベルのファインダーがないため、液晶が見えにくいとき、角度を変えると、多少はましになるためかもしれない。当然自撮りができるほど回転する。ただ、50ミリでは狭すぎるかもしれない。
 標準レンズによるフナ釣り撮影。これは逆に言えば一番の手抜き撮影にもなる。
 50ミリという画角は、人間の目の距離感に近い。奥行きが。だから、撮影者が撮したときの距離感が反映される。だから撮影者が見たものと同じものが写真になる。これは距離感で、視野ではない。実際はその倍以上広いものを見ているのだが、そうなると28ミリを超えてしまうため、距離感がおかしくなる。狭い場所なのに広く見えたりとか。望遠だとその逆で、いつものバス停を撮しても、山の麓にあるバス停のようになる。距離感が圧縮され、すぐ後ろにあるような。これはマラソン中継のとき、かなり後ろから追いかけている選手と先頭の選手が同じ寸法になったりする。真後ろにいるような。これを広角で写すと、遙か彼方に後ろの選手は遠ざかる。本当の距離感は50ミリだ。だから標準レンズと呼んでいる。あとは誇張された世界になる。
 だから、街中をウロウロしていて、目に付いたものを写した場合、ほぼ肉眼で見た距離感で写っている。広角で写すと、そんな場所だったのかと思うほど、ボリューム感が消えている。それに道も広くなっている。風景が逃げてしまう。まあ、その方がいい効果になるのだが、後で見ると、そんな場所ではなかったと思うかもしれない。
 50ミリ標準レンズ、そういう含みがある。


 


■■ 2016年07月27日 水曜日 午前7時50分
 
 雨はやんでいるが、曇っている。気温は低い目。今日は晴れて暑くなりそうだが、朝はその気配はない。夜も熱帯夜ではなかったので、最初から扇風機は付けなかった。
 朝、涼しいためではないが、寝過ごした。朝方目を覚まし、そのまま眠れないことがある。それに比べるとましだ。朝方何度も目が覚める。時計を見ると、まだ早い。次もまだ早い。次はかなり寝過ごしていたことになるが、今朝は時計の短針の見間違えだ。逆に見間違えて、早く起きてしまうことがある。一時間早かったことをすぐに気付き、また、寝るのだが。
 朝方早い目に起きて、そのあと眠れないより、もっと夜中に目が覚め、そこから眠れない方が厳しいだろう。そういう日は体調が悪かったりする。起きた方が楽だったりする。
 だから、寝過ごしている方が良いのだろう。悪いことではない。それに夏場の昼寝時間が短くなっていたり、暑くて寝てられなかったりする。そして、夏の夜は短い。そのため、睡眠不足気味になるのだろう。
 今朝はそれで遅い目に寝起きの喫茶店に入ると、一番の客が既に消えていた。帰ったのだろう。それで逆にすいていたりする。早い目に行きすぎると、店は開いていない。しかし、一番の客がドアの前で並んでいるのを見たことがある。まるで朝のパチンコ屋の前だ。
 昨日は夏バテ防止のためではないが、鰻丼を食べに行く。すき家だ。700円台。鰻の値段は1400円ほどだろうか。その半分で700円。そう計算すると、それほど安くはない。しかし鰻一匹を一気に食べられるものではない。
 しかし、その半分の鰻で、果たしてスタミナが付くのだろうか。少ないような気がする。それにご飯と鰻しかない。それでは味気ないので、しじみ汁とお新香セットを頼む。これで百円追加になり800円。しじみ汁が結構よかった。鰻丼より。もの凄く小さいが、びっしりとシジミが入っていた。身も入っているが、小さいので口に入れにくい。しかし、汁が良い。
 鰻だけではスタミナに難があるのか、牛鰻丼の幟が派手に出ている。これは100円ほど高い。しかし、この組み合わせ、助かるところがない。どちらもしつこい。片方は豆腐がいい。
 その戻り、村散策の続きをやろうとしていたが、もう薄暗くなっていたので、やめる。曇っているので、暗いのだ。
 それで百均で、昨日の続きの画材を見る。筆ペンやサインペンなどを買う。こういうのは試し書きしないと分からない。筆ペンで耐水性となっていても、指に水を付けて擦ると、見事に滲んだりする。ほぼペン画と同じように書けるのはボールペンだ。太いタイプはややかすれるが、普通のタイプなら、かすれない。そのため、素早く書いても問題はない。製図ペンでも実際にはかすれるし、あの注射針のようなものは、感触が悪い。昔の付けペンのペン先は筆ペンになったのだろうか。筆圧による線の変化は筆ペンの方が大きく出る。しかし本物の筆は扱いにくい。だから今出ている筆ペンは先の尖っただけのもので、これが命中率がよく、思うところに線が引ける。サインペンは製図ペンと同じで、一定の幅の線しか引けない。線の切れは柔らかいはずの筆ペンが一番切れる。筆ペンとボールペンが進化したのか、サインペンや製図ペンよりも扱いやすくなった。
 カリカリと書くのならボールペンだろう。いくら力を掛けてもいい。筆ペンで力を掛けると、太くなるし、製図ペンだと先が傷む。ボールペンは力んでも大丈夫なので、書き殴るときはいいが、太い目の線が苦手なような。0.8ミリ程度までだろうか。1.4ミリタイプを買ったのだが、間違って赤だった。黒ならもっとインクが乗りやすいかもしれない。筆ペンは一本で太さを調節できるが、細字用と中字用があった。線の幅は筆なので、そっと撫でたときの太さだろうか。
 サインペンとボールペンは似ている。どちらも力を入れることができる。昔は油性のサインペンは滲むので、力を入れて止めておくと星ができたが、その後、耐水性のインクのおかげで、滲まなくなったが、色が薄い。弱々しい色になった。黒ではなく、灰色に近い。そのあたりのインクも改良されたのだろう。それよりも、昔なら画材店で2千円ほどしていた製図ペンが百円でずらりと並んでいることになる。
 万年筆でも絵は書けるが、水性だ。油性を入れると、詰まってしまい、かすれてしまう。万年筆は、一寸濃さにムラがある方がそれらしい。また、水性でないと、涙で文字が滲むなどの歌詞もできない。目が霞むのではなく、涙が落ちて、文字が滲むのだが、擦らないと滲まないかもしれないが、昔の手紙を鞄に入れていて、雨に降られたあと、手紙を見ると、かなり滲んでいた。読めないわけではないが。
 水彩絵の具、透明絵の具だが、これは滲ませるためにあるようなものだ。これは狙い通りのにじみ具合になるとは限らないので、偶然だ。
 結局百円なので、何本も買って試すころができる。こういうのは文房具屋で売られているのだが、文房具屋がない。あることはあるが遠かったりする。また、こういうのが多くあるのは紀伊國屋だったりする。そこの文房具コーナーだ。試し書きができる。今はどうかは分からない。梅田に出る機会がないのと、あるときは忙しくて、寄ってられなかったり、既に店は閉まっていたりする。
 

 


■■ 2016年07月26日 火曜日 午前7時02分
 
 今朝は雨。昨日は降りそうで降らなかったので、今朝になったのだろうか。珍しく西からの雨ではなく、北からの雨。雨雲が北から降りてきている。日本海側に低気圧があるらしい。珍しい。雨は西からが大阪方面での決まりだが。そうではない。九州方面で雨なら、一日後、大阪も雨が多い。
 気温は夜は熱帯夜ではなかったが、朝になると気温が上がった。逆だ。朝方涼しくなるはずなのに。これも北からの低気圧の影響かもしれない。
 雨でひんやりとしているので、涼しい一日になるだろう。こういう日に限って喫茶店の冷房がきついので、長袖の綿パーカーを着ていく。これはフード付きで、襟巻きになる。生地は裏地がタオル地ではないので、それほど分厚くはないが、真夏のぺらぺらのカッターシャツに比べれば、分厚い。これは暖になる。
 先日亜麻を買った。この尼めいの、尼ではない。この亜麻と麻とを間違えやすい。百パーセント亜麻ではなく、半分綿のカッターシャツだ。これが一番薄いと言うより、透けている。だから、涼しい。着るほどに柔らかくなるらしい。麻も亜麻も、結構高い。綿より高い。一番安いのはポリエステルだ。
 炎天下、この薄い亜麻カッターが効くはずなのだが、まあ、気分の問題もある。それを着れば涼しくなるわけではない。
 これは結構高かったが、スーパーの特価で半額になっていた。そのため、普通のカッターシャツほどの値段にまで落ちていた。それより安いかもしれない。
 この時期半袖Tシャツが売れるのか、店頭でよく見かけるが、値段は900円が相場。二着買えば二着目は半額という店があるが、500円あたりにならないと買わない。そうなるのは、スーパーの値札の半額セールに限られる。毎日やっていない。それにタイムサービスなので、瞬間だ。そして、そこで半額シールを貼って貰う。それがないと、レジでは値札のままになる。それの吊り物、ハンガー掛けを電車のように通路に運んできて、そこで売る。時間が来れば、そのまま引っ張って定位置に戻すのだろう。半額にはならないが、いつでも買えることは買えるが、半額になることを知っていると、買えない。また。半額だから買うようなものだ。そのため、見るまで知らなかった亜麻製品、リンネルを買ったことになる。
 昨日は手書きで絵を描く用事ができたので、ペンなどを探しに行く。紙もない。インクもない。鉛筆や消しゴムもない。
 消しゴムのくずを履く羽箒もない。これは大きな刷毛の方がよいが。
 ずっと使っていたサインペンは当然カラカラだ。これはミリ数が書かれたもの。当然いつの時代のものか分からない。20年ほど前のものだろう。同じものはもう売っていない。ただ、マジックインキはまだ売られている。?マークのアレだ。アレの細いタイプが結構いいが。
 絵の具がない。筆がない。いつもは百均で買ってきて、それで済ませる。殆ど使い捨てだ。筆なども百円で数本入っている。流石に毛筆は一本で百円。しかし、習字の筆が百円で買えるのだから、これは何だろう。毛先は日本製となっていた。
 サインペンで良いのが出ていた。サインペンでの油性はしんどい。滲むからだ。さっと線を引かないといけない。留め置くとにじみ始める。大きな星ができるように。
 ボールペンも良いのが出ており、これはインクの問題だろうか。出やすいインクになっているが、油性だと矛盾する。だから、水性インク並によく出てかすれない油性タイプのインクになっている。油性ではなくてもいいから、耐水性が好ましい。欲しいのは耐水性で、水を弾くことだ。封筒の宛名書きでは油性がいいだろう。濡れたりして文字が滲まないように。
 絵の具と言うより色塗りは、クレヨン、色鉛筆、水性マーカー、普通の絵の具。アクリル絵の具等々が、百均で揃う。アクリル絵の具は流石に一つで百円。水性マーカーなど20本で百円だ。この値段は何かと思うほど。ただ、マーカーなので、薄い色が出ない。どの色も濃い。
 ペン習字のペンやペン軸はなかった。需要がないのだろう。ペン習字ではなく、ボールペン習字の塾があるほど。実際に書類などを書くとき、ペンではなく、万年筆でもなく、ボールペンだろう。これはカーボンが仕込まれているとき、ペンでは付きにくいのだろう。強く押すように書くボールペンが必要になる。
 最近のボールペンは濃くてかすれない。しかしたまにカスや、固まりが付くことがある。紙を切り刻むように使うためだろう。紙が削られるためだろう。
 丁度いいのが筆ペンだ。最近の筆ペンはサインペン風で、毛筆は仕込まれていない。フェルトペンだ。だから、筆の先がばらけたりしないので、かすれないことと、毛筆だと微妙に筆を浮かさないといけない。力を入れると、太くなる。しかし、最近の筆ペンはそのコントロールがしやすい。サインペンとの違いは、筆圧が反映する。そうでないと、毛筆で書いたようには見えないだろう。全部同じ太さならサインペンやボールペンと同じになる。
 そして、この筆ペンのインクが一番黒い。そして濃い。これは墨汁ではできない。墨汁は滲むことがあるが、筆ペン用のインクは耐水性がある。それでいて滑らかにたっぷりと墨が出る感じだ。
 付けペン、これはカブラペンや、Gペン、丸ペンのことだが、製図用インクを使う。油性のためだ。墨汁でも良いのだが、そこは好みだ。普通のインクでも良いが、製図用でないと滲む。これは描いた絵を自分手の平などで擦ってしまうためだ。汗などかいていると、モロに滲む。
 さて、色塗りだが、ペン画に色塗りとなると、ペンは油性、色は水性となる。そうでないと、黒い線が消えてしまうためだ。ここが普通の絵画と違うところだろう。ペン画での色塗りは余計なことなのだ。ペン画は黒い線だけで、見せるようになっている。そこに色を塗ると、バランスが崩れる。線より色の方が強いためだ。面積比的にも。
 だからペン画の着色では、色目は薄くしないと、線が死んでしまう。だから、薄い色が好ましい。
 薄いと言えば、クレパスよりも色鉛筆だろう。クレパスは油絵的。色鉛筆は透明水彩風。色鉛筆は水を含ませると、水彩絵の具のようになる。
 鉛筆一本で、写真のような絵を画く人もいる。鉛筆の先は尖っているので、結構細かく書けるのだろう。
 次は紙だ。百均で手に入るのは画用紙。ただし、種類は少ない。何処にでもあるのは落書き帳だ。クレヨンや絵の具で描く。
 漫画などは模造紙がいい。所謂上質紙だ。昔はケント紙があった。百均にはない。油絵用の小さなカンバスもある。布をしっかりと張ってある。見事だ。これで百円。だから、筆や絵の具だけではなく、それを書く紙も一応売られている。一番多いのはカラー画用紙だ。地の色がカラーなので、そこを塗る必要がないため、絵の具大の節約になるのだろうか。または工作用だろうか。
 漫画の場合、ベタ塗りがある。あまりベタが多いと、インク代がもったいないので避けるということではないが、筆ペンが百円であるのだから、この墨汁に近い真っ黒なベタには丁度いいだろう。マジックやマーカーに比べ、先が尖っているので、込み入った場所を塗るときは便利だ。一本で行ける。実際に細かいところや、端はペンで塗るのだが。毛筆で塗った方が技術は上がる。
 たまに色紙を書くことがあるが、色紙なのに色を塗っていない。塗ると、絵が死ぬ場合が多いためだ。人の目は線より、色を見る。まあ、世の中には線など実際には存在しないのだが。
 

  


■■ 2016年07月25日 月曜日 午前7時13分
 
 今朝は曇っており、雨が降るらしい。梅雨明け後、初めての雨かもしれない。暑い日が続いていたので、この雨は助かる。猛暑日が続くほど暑くはないのだが、30度越えの日が多いと、流石にバテる。週に一度ぐらい雨が降ってもいい。それで休める。
 最近は夕方に自転車散歩に出るのだが、これも結構こたえるのだろう。気温的には低いので、動きやすいが、夕方というのは独自の空気がある。黄昏時だ。この時間帯はあまり動かない方が良いのかもしれない。特に夏は。これは夕方の話だが、朝のまだ薄暗い時間をカワタレドキと言うらしい。薄暗くなっているので、誰だか分からないということだろう。しかし、このカワタレドキ、漢字にはない。だから、平仮名にすると、判読できないだろう。彼は誰ぞ、というのがそのまま一つの言葉になっているのがおかしい。カワタレで彼は誰。
 今年は猛暑が予測されていたが、今のところ大したことはない。いつもの夏程度の暑さだろうか。気温的に高くなくても、暑い日が続くと、じわじわと効く。晴れが続くためだろう。もの凄く高い気温が出ても、雨や曇りが多いと、それほど厳しい夏にはならない。休めるからだ。
 7月も終わりに近い。これが真夏のピークだろう。8月に入ってからもの凄く暑い日が続くことが過去にもあったが、それは特別な年だった。
 日陰が少し伸びている。いつも通る日陰の道は、行きは日陰だが、帰りは日陰の幅が減り、日陰ではなくなってしまう。それがまだ残っているので、太陽の位置が違ってきているのだろう。冬のように日が低く、真上には来ないような。
 建物などの影が伸びる。これは夏の勢いが弱まっていく証拠だ。
 自転車を買い換えないといけない。チェーンを変えたり、タイヤを替えたりしてから1年は警戒しただろうか。クランクが怪しくなっている。十年ぐらい乗っているので、もう十分役目を果たしている。これだけ長く乗り続けた自転車は初めてだ。特に選びに選んだ物ではなく、普通のママチャリだ。当時で28000円。大型チェーン店のママチャリとしては高いクラス。その上にとなるメーカー物や、アルミ系になる。
 似たようなタイプの自転車はいくらでもある。オートライトで三段変速程度が付いていればいい。いつもは1速で走っている。軽いためだ。そこから動かすことは滅多にない。
 いつも行くショッピング街の自転車置き場前に自転車屋がある。ここもチェーン店だが、少し店が小さいので、種類が少ない。しかし、修理などの待ち時間が楽だ。
 五段変速でオートライトで、ハンドルがアップタイプが25000円。このタイプは一種類しかないようだ。大きな店だと四種類ほどある。だから、この店では選択肢がない。
 五段変速はギアが裸なので、すぐに錆びるだろう。それにチェーンが引っかかりやすい。また抜けたりする。だから、三段変速で、タイヤの付け根、ハブに内蔵されているタイプがいい。錆びたギアはあまり見たくない。チェーンもフルカバー付きが好ましい。今なら3万で、そのタイプが買えるだろう。ただし、メーカー物だと、そうはいかないが。
 まあ、むき出しのギアはさび止めスプレーを常に吹き付けておけば何とかなる。錆びて茶色になっていても、動くことは動くのだが。
 十年も乗っていると、錆びにくい自転車でも、アルミやステンレス以外の部品が少しあり、そこが錆びている。サドルポストとかだ。そこは手を抜いたのだろう。ハンドルはステンレスなので大丈夫だが、その根元は錆びている。締め付けている箇所だ。だから小さな部品だ。タイヤ系は錆は全くない。そしてペダルが錆びている。これは折れそうになっている。強く踏むとガタンといってしまいそうだ。これは乗る前なら痛いだろう。足元が急になくなるので、体重を掛けているときは、危険だ。
 だから最近は座ってからペダルを踏むことにしている。
 以前なら一年か二年持てば良かったのだが、十年は長い。ママチャリは丈夫だ。これは駐輪場での揉み合いでも耐えられる。知らない間にハンドルが曲がっていたりするので、知らない間に転倒していたのだろう。それと自転車と自転車の間にねじ込んだりする。一番弱いのはスポーツタイプでの片足スタンドタイプだ。簡単に倒れている。
 自転車は1万円であるのだが、オートライトや変則付きになると、その値段ではない。2万円あたりからだ。
 自転車が1年ぐらいしか持たないのは、故障ではなく、持って行かれるためだ。駅前などに止めていると。だから取られなければ十年以上は持つ。
 取るのは当然自転車泥棒ではない。ママチャリなど取らないだろう。持って行かれると、その手間と料金で、自転車が買える。中古だがタイヤなどは新しかったりする。
 
 
■■ 2016年07月24日 日曜日 午前7時07分
 
 昨夜は熱帯夜ではなかったのだが、窓を全開し、扇風機を付けて寝ていた。これはやはり寝る前、暑苦しいためだろう。熱気が残っている。部屋にも体内にも。
 それで朝方涼しくなりすぎるのだが、掛け布団が気持ちがいい。いつの間にかたぐり寄せたのか、しっかりとくるまっている。
 夏なのか、夏祭りをやっている。盆踊りだが、お盆にはまだ早いし、お盆にやると、集中してしまう。だから夏祭りとして小学校の校庭や、グランドでやっている。中学校ではあまりしないようだ。小学校の方が数が多いためだろうか。
 昨日も夕方に村めぐりに出たのだが、南野村にある小学校が夏祭り。これが規模が大きい。学校からかなり離れた場所に臨時駐輪場ができている。これは児童公園だ。だからこの日は公園として使えない。狭い公園のため。また近くといってもそれなりに距離にあるところにあるスーパー敷地内にも駐輪場ができている。客とは別の場所だ。どちらも小学校からかなり遠い。駅前にある有料駐輪場、そこから改札までの距離が長いと、これは家から歩いた方が早いことがある。それに近い。だから、小学生なのだから、自転車の距離ではなく、普通に歩いてもしれているのだが、外部の人がいるのだろう。これは町内外のお客さんだ。夏祭りがあると遊びに来る人達だ。
 この南野村の小学校の夏祭り、実際には櫓を回る盆踊りと同じだが、規模が大きい。本物の太鼓を叩いていたりする。流石に河内音頭のような音頭取りはいないが。屋台なども出ており、かなりの規模だ。
 南野村にも村の盆踊りがある。どの村にもあるだろう。その盆踊り、こちらより規模が大きい。場所が公園と校庭の違いだろうか。公園では野球はできないが、校庭は運動場なので、野球ができる。実際試合などをやっている。だから、スケールが大きくなる。
 南野村の公園も昔は公園ではなかった。村の広場だ。それが公園化し、遊技類で狭苦しくなったので、盆踊りの輪も作りにくくなっている。
 小学校内での夏祭りは、運動会と同じで、椅子などが並んでいたりする。運動会見学の父兄席のような設定にすればいいのだ。まあ運動会でのお遊戯を見ているようなものだが、踊っているのは小学生だけではない。
 南野村の盆踊りはオリジナルな音頭があり、これは練習しないと、踊り方が分からないので、一般の人は参加しない。保存会の人だけが踊っている。ただ、それはトリで、最後の踊りだが。
 昨日の小学校では炭坑節をやっていた。月が出た出た月が出たと、三池炭鉱の歌だ。これが一番聞き覚えのある盆踊りの歌と踊りだろうか。さぞやお月様煙たかろは尼崎の工場の煙突と重なる。
 村人が踊る盆踊り、それよりも、南野村へ引っ越して来た人達の方が遙かに多い。だから小学校でやる夏祭りの方が賑わっており、規模が大きくなるのは当然だろう。村の盆踊りでは村人がメインだが、小学校の場合、その周辺に住んでいる人なら気楽に参加できる。
 昔は小学校単位での盆踊りなどなかった。そして、もう盆踊りとは言わなくなりつつある。夏祭りで統一している。お盆前にやるので盆踊りとは言えなくなったためだろか。しかしその内容は盆踊りだ。
 さて、そこを通過し、昨日の続きの村探索を続ける。野間村と友行の農家がくっついていると思ったのだが、武庫之荘の間違いだった。友行村が見付からない。方角が違うためだろう。武庫之荘が広い。なぜ友行村の農家だと勘違いしたのかというと、友行と書かれた消防団の建物があるからだ。
 後で地図で見ると、友行村はあった。神社もあったが、これは時友村の神社の裏にある。背中合わせだ。しかし、その場所、殆ど山田村なのだ。
 さらに調べると、友行は野間村に属していたようだ。この辺り、旗本領や、幕府領、つまり天領だが、細かく分割されていたようだ。武庫之荘そのものも、荘園で、これは細かい。そこまで細かいと家庭菜園のようなものになる。野間村のある時期の石高が200石。当時の面影はないが、殆ど田圃で、その広さが200石分だろうか。その半分として百石。百石取りの侍はかなり金持ちだったことが分かるが、家来に米を分けないといけない。
 千石取りの旗本が、かなり大きかったことが分かる。1万石なら大名だろう。
 幕末近くは、この辺りも南野村と同じで尼崎藩の領地になったらしい。その殿様の名前など知らないので、地元への馴染みがなかったのだろうか。
 それよりも弥生時代の住居跡が出ている。その柱などから推定して、近畿で最大の大きさらしい。二度ほど調査されたらしいが、埋め直して宅地になっている。また、弥生時代の古墳や穴のようなものも発見されたらしい。まあ、太古から墓のようなものはあるので、その全てを保存するのは無理だろう。武庫之荘遺跡とでも言うのだろうか。
 そう言えば、野間に盛り土された場所があり、その上にお稲荷さんがあるのだが、木も古い。この村の本宮と書かれている。神社は別の場所にある。この盛り土が怪しい。丸い場所で、角にある。まあ、方墳だったとしても、崩れると丸くなるのだろう。一応本宮ということで、これはずっと守られるはずだ。神が降りた場所なのだろう。その神社はスサノウが祭られているが、そうではなく、もっと昔からいた神かもしれない。この近在の村、殆どスサノウだ。それがかえって怪しい。
 先ほどの南野村にある小学校。実はこのしたに神社があった。合祀されたが、その神様の名が分からない。スサノウではない。
 古い神を探せ、これも村めぐりの楽しいだ。表向きの御神体ではなく。
 

 


■■ 2016/07/23 7:09
 
 昨日は暑かった。夕方前、自転車で走っていると、久しぶりの熱気。日陰なのにむっとする。部屋に戻り、気温を見ると、日本で一番暑かった。豊中がその時間全国一位。これで納得できた。日本一なら仕方がないと。
 昨夜は寝苦しく、熱気が抜けない。これは体の熱気だろうか。それほど気温はもう高くはなかったが。今朝見ると昨夜は25度を切っており、熱帯夜ではなかった。きっと体の熱気が抜けなかったのだろう。今朝は清々しく、よく晴れている。夏の良さだろうか。しかし、昼間はまた気温が上がり、暑苦しくなりそうだが。
 冬場より、外に出る回数が夏の方が多い。散歩も夏の方が多かったりする。これは気持ちの問題だろう。冬はこもりがちになる。寒さもあるが、外に出ようとはあまり思わない。着るものが多いためかもしれない。
 つまり夏は開放的と言うことだ。外に出ると暑いのだが、冬場より出ている人が多いような気もする。昔は部屋が暑くて、外に出ていたようだが、最近は窓を閉めて、部屋にいるようだ。
 昨日は夕涼みで自転車で村探索。気温は下がっているが、やはりまだまだ暑いので、ゆっくりと走る。この散歩、目的はスーパーだ。夕食を買いに行くついでの散歩。ちょうどスーパーが昔の村にあったりする。南野村に一つ。野間村に一つ。コンビニではなく、スーパーなのがいい。
 スーパーが旧村に一店あるのは宅地になり、住民が増えたためだろう。十分客がいるためだ。それで、いつもの南野村のスーパーではなく、その向こうの野間村のスーパーへ赤飯を買いに行く。これは帰りでいい。最後はそのスーパー経由で帰ればいい。
 野間村のメイン通りを走る。これは昔の幹線道路なので、道は細いし、曲がりくねっている。車道ではなく、人が歩く道だったためだ。いくらカーブが多くても、人なら簡単に曲がれる。横へもカニのように移動できる。
 野間村で印象的なのは、その村道のようなところに屋根があった。八百屋のようなのがあり、その店先の前の道の上に屋根があったのだ。だから雨宿りにはちょうどだ。ひさしではなく、道路の向こう側に柱を立てた屋根だ。ここはちょっとした広場になっていた。車が入ってこないので、昔はそれができたのだろう。椅子とかもあったりする。この道も市道か何かになり、屋根も撤去されたのかもしれない。
 八百屋というより萬屋で、日用品も売っていたはずだ。その主人が亡くなったのか、その孫の代になったのか、学習塾のようなものになっていた。そこを過ぎると、お寺があり、古い農家がまだ続いている。規模も大きい。
 ところが、農家群を出る手前で番地を見ると、野間ではなく、友行となっている。野間村の南は武庫之荘村。それが友行になっているので、驚いた。まあ、友行村は西側にあるので、あって当たり前だが、そうではなく、農家群がくっついているのだ。農家が続いているのだが、あるところで野間と友行に分かれる。不思議だ。そんな例は、あまりない。どう見ても同じ村にある農家だと思ってしまう。だから長い間、ここは野間村の農家群だと思っていたのだ。
 野間村は伊丹市の端にある。こぶのようにはみ出している。その境界線は尼崎市。武庫之荘村と友行と接している。武庫之荘村は田圃の遙か向こうに集落がある。そのパターンで友行も田んぼの向こうにあるはずなのだが、野間村とくっついているのだ。これが珍しい。
 しかし、この友行、西にあるのだが、その先にもう一つ友の名が付く村がある。尼崎市になるので、馴染みはないが。
 この辺りの村には必ず神社があり、大きな木がある。だから友行の中心部はここではないはず。西側をもう少し行くと神社があり、大きな木があり、農家のある場所がある。そこが友行かもしれない。結構遠い。
 要するに野間村の農家群の西は友行の田んぼと言うことになる。この友行、馴染みがないが、何度か通っているはずだ。それは武庫川に出る道があるためだ。甲武橋に出る。
 その野間村のすぐ南が武庫之荘。武庫川の武庫だろう。武庫川からは遠い。昔は土手が見えていたが、今は見えない。
 武庫川は宝塚辺りから市街地に入る。昔で言えば平野だ。しかし、武庫と名の付く地名が、武庫之荘程度だとすると、武庫川を取ったようなものだ。武庫川の向こう側は西宮市、そこに武庫という地名があってもおかしくない。しかし、同じ川でも、流れている場所より、川の名も変わっていたりする。
 武庫というのは、そのままでは武器庫だ。また武庫川を向こう側という説もある。武庫之荘や、武庫元町と、武庫川がらみの地名がある。その東、大阪側にある猪名川の猪名もそれなりの含みがある。だから武庫川にもあるのだろう。伊丹は、この猪名川とその支流の藻川と、少し西の武庫川に挟まれている。
 お隣の村は馴染みがある。そのさらにお隣になると、馴染みはないが、夕涼みで自転車で回れる距離だ。結局汗をかいて、涼めるものではないが。
 

■■ 2016年 7月22日(金) 午前8時53分
 
 今朝は寝起き行く喫茶店で日誌を書き、読み直しているとき、ノートパソコンが動かなくなった。まったく反応しない。フリーズだ。一太郎の自動バックアップを使っていないので、何の痕跡も残らない。これはやはり面倒でも使っていた方がいいのだろう。しかしファイルが増えるので、このオプションは使っていない。
 それで部屋に戻ってから、この日誌を書いている。消えた日誌は、何を書いたのかは覚えているが、それを繰り返し書くのは面倒と言うより、その気になりにくい。しかし、シナリオがあって書いたものではなく、ネタも特に考えて書いていたわけではないが、書き上げると、それが既成ものになる。最初から、そういう内容のものだったかのように。
 どうせ、朝の天気とかを書いていた程度だが、本屋の話、映画館の話、スマホの話、大衆食堂の話などが出て来るし、また校正ソフトの話も出て来る。それらが全て消えてしまったのだが、特に大事なことを書いたわけでもないので、問題はない。どうせ後日読む返すようなこともない。
 校正ソフトの話は一太郎に付いているツールで、久しぶりに試してみると、精度が上がっており、使い回しもよくなっていることに触れている。画面の横にチェック箇所がずらりと並び、一覧性がよくなっている。プログラミングソフトのチェック画面のように、エラー一覧のようなもので、タグが付いているので、ページと行と言葉がすぐに分かる。それを見ながらジャンプできる。タグジャンプだ。左側の一覧はそのまま残っているので、使いやすい。
 というようなことを書いていた。本人が校正をしたとき、言葉を一括りの固まりとして図や模様のように見ていたりするので、実際には一字一句まで見ていないのだ。ところが機械だと一字一句まで見る。この一字が大事で、これは機械の方が、見落とさない。カタナカの間違いがある。なぜそういう間違いがあったのかは分からないが、タイプした覚えのないカタカナになっていたりする。それを読み返したときには気付かないのは不思議だが、これも固まりとしてみているためだ。図や模様のように。
 あとは「そうだったた」など。「た」が多い。消し忘れだろうが、実際には消したはずなのに残っていたと言うことだろうか。このあたりは機械に任せた方がよかったりする。
 ずっと校正ばかりしている人は、文章全体を見たとき、何か違和感を感じて気付いたりするのだろう。余計な文字が一つ多いとか、一つ少ないとか。決して一字一字見るのではなく。ただ、本人がやると、間違っているはずはないと決めつける場合が多い。だから、その箇所は安全なので、大丈夫なので、さっと目を通すだけだが、真剣に通さないのだろう。修正箇所があると、直すのが面倒なので、できれば避けたい。だから点が甘くなる。チェックも甘くなる。
 特に間違っている箇所を発見し、修正したあと、もう一度読み返したとき、そこはスルーに近い。実は間違え直しの修正で、文字を消しすぎていたり、残してしまったりしていたことに気付かない。そこは既に修正したので、見なくても大丈夫と、思うためだろうか。
 次は散歩ネタだったように記憶している。昨日は晴れており気温も低い目立ったので、以前行っていた伊丹モスからの帰り道の散歩コースに行ったことを書いていた。その内容は映画館が入っていたビルが取り壊されたという話で、そこは元は阪急伊丹駅があった場所なので、その映画館も古い物ではない。昔からあった映画館は全部消えている。だからそれらがなくなってからできたようなものだが、既に映画離れの時代で、がら空きだった。これはテレビに取られたのだろう。その時代になると、映画館へ映画を見に行く習慣が消えている。毎週のように映画を見に行っていた時代は、もう春か昔だ。
 その話と関連して。近くの郊外型大型書店の店名が変わっていることを書いている。これは吸収されたのか、合併したのかは分からない。自転車を止めるのに苦労したのだが、今は好きなところに止められる。雑誌のスタンドのようなものが入り口にあるのだが、人がいない。週刊誌も漫画雑誌も売れていないことが丸わかりだ。
 これはネット、特にスマホの影響ではないかと思える。雑誌より、情報が早かったりする。それに無料だ。しかし、実際にはスマホを持つと言うことは月々いくらかのお金を払い続けている。だから見ないと損だ。
 当然ネットには上がらない特集記事などもある。
 逆に復活しているものも、今朝の日誌に書いていた。大衆食堂だ。これはすぐ近くにできた。カレーとかご飯とか、おかずとかのメニューが見える。個人営業だ。町の飯屋は潰れきり、殆ど残っていない。うどん屋もそうだ。それで逆に需要があるのかもしれない。敢えて大衆食堂にしたのは。
 そこは以前焼き肉屋だったように記憶している。しかしそれでは高いので、入りにくい。ただ、大衆食堂末期の頃、もの凄く高かった。おかずが高い。何皿か取ると、もの凄く高くなり、大衆どころか、高級店に近かった。そのわりには汚い店が多かったのだが。
 駅前とかなら、帰ってから作るのは面倒なので、めし屋で適当に食べて帰るというのはあったが、今は牛丼屋がその役目をしている。
 だから近所にできた大衆食堂。これは住宅地の中だ。飲み屋や喫茶店が少し並んでいるので、ぽつりとあるわけではないが。
 と、言うようなことを今朝の日誌で書いていたのだが、実際の文字数はこの倍ほどあった。
 そのノートパソコン、終身刑にするしかない。
 
 
■■ 2016年07月21日 木曜日 午前7時11分
 
 今朝も涼しい。22度ほど。熱帯夜は何処かへいってしまった。梅雨の頃の方が暑かったと言うことだろうか。梅雨が開けたとたん朝が涼しい。これは秋がそこまで来ているのではないかと思えるほど。それはまだ8月になってからの話で、早いのだが、天気予報によると北は涼しいらしい。冷たい空気が流れ込み、東京方面も涼しいとか。大阪方面は朝だけ涼しく、昼になると、暑くなるとか。
 今朝は少し曇っており、日差しがない。雲の方が多いようだ。学校は夏休みが始まったらしい。つまり、7月の休みが10日ある。そしてたっぷりの丸一ヶ月の8月の休み。美味しいのは7月だろう。この7月の夏休みは安心して休める。後ろに一ヶ月の夏休みが控えているので、これがクッションになるためだ。都合40日間の休み。小学生はバイトはない。塾はあるかもしれない。夏期講習で、忙しいかもしれないが。
 夏休みの宿題以外、何もないという状態は、天国だろう。その宿題のことは7月はまだ考えなくてもいい。
 しかし、暑いと言うだけで体調を崩しやすい。暑気にやられたりする。所謂夏バテのようなものだろうか。夏バテは夏の終わりに出やすい。涼しくなってきたときに出る。だが、夏の最中でも、涼しい日があると、そのとき、出る事がある。暑い最中は夏バテが分からなかったりする。
 また、暑い最中、頑張って無事それを乗り越え中より、それが終わってから出たりする。
 暑いと逆に昼寝ができなかったりする。横になってウトウトし始めても、ここで寝ると危ないとでも言うのだろうか、すぐに目が覚めたりする。
 そのため、いつもより、夜に寝るとき、早い目に寝たりする。夏は昼間が長いせいもあるが。
 昨日は夕食後、まだ明るいので、徒歩散歩ではなく、自転車散歩に出た。昼間は流石にウロウロしにくいので、日が落ちてからの散歩だ。しばらくはまだ明るい。それに暑くないので、都合がいい。
 近場の村探索で、南野村のお隣の富松村へ、昔の道を伝って入る。この富松村、尼崎市になるため、馴染みがなかった。また、富松へ行く用事がそもそもない。少し近くにカメラのキタムラがあるが。
 ここがお隣の村であることはなかなか実感が湧かないのは、間に車怩ニか長沢とか、安堂寺とか、別の町内があるためだろう。しかし、いずれも南野村だった場所のようだ。だから、お隣なのだが、間の町のため、お隣とは思えなかったのだ。しかし、旧道を自転車で走っていると、すぐに富松に出る。農道、旧道は曲がりくねっており、直角に曲がることもある。昔はかなり行き来があったのだろう、南野富松間の道は簡単に見付かった。これは普通に散歩をしているとき、自然とその道を通っていることが多い。
 富松神社があり、それが富松の中心部だろうか。近くに大きなお寺があるので、そこで曲がり、真っ直ぐ進むと、武庫之荘に出る。ここは珍しく、真っ直ぐな道で、しかも斜めに走っている。これは不思議な道だ。その手前で、武庫之荘村と、阪急武庫之荘駅へ向かう道と煮別れる。V字路だ。この道は便利なので、普通の自転車散歩で、よく通っていたので、馴染みがある。しかし、富松からこの道に通じているのを、昨日初めて知る。いつもと入り方が違うためだ。つまり村と村とを結ぶ幹線道路だったのだろう。阪急武庫之荘駅の手前の踏切には中山道と書かれている。中仙道ではない。中山さんという大きなお寺へ行く道だ。結構遠い。この中山道も辿る必要があるのだが、既に通っている道かもしれない。これこそ街道のような道なので、残っている可能性が高い。既に何度も通っていたりするのだが、中山道として意識して通ったことはない。だから、ああ、あの道がそうだったのかとなるのが楽しい。
 尼崎方面から中山さんへ行く用事は先ずないだろう。昔はお参りであったのだろうが。
 この中山道と有馬道が何処かで交差するかもしれない。可能性があるのは昆陽村だ。
 この昆陽村、南野村のお隣だ。ここも住宅地の町名が間にあるので、お隣とは思えない。しかし最近寝起きに入る喫茶店は、この昆陽にあるのだ。そしてそこは有馬道沿い。
 日が沈んでからの散歩なので、近場を細かく走るしかない。近場と言うより、ほぼ町内だ。お隣の村なので。
 
 先日ヨドバシカメラで見たパナソニックの28から280付きのG7というミラーレスが一番良かった。しかし値段は7万円超えなので、これは手が出せない。
 その前の誕生日月に買った富士のネオ一眼がある。結構安いので、ネットよりも高かったが、誕生日月だったので、無条件に買っている。写りはそれほどでもなく、大したカメラではなかったのだが、その前に買った年寄りカメラのネオ一眼の上位機だ。しかし、年寄りカメラは半分の値段で、しかもかなり古いのだが、そちらの方がよく写っていたりしたので、ガッカリだった。
 しかし、富士のこのネオ一眼、ファインダーがいい。ここが不思議なところで、これで写した写真は殆どいい。気に入った写真が写せる。これをしっかりとした画質のカメラで撮せば、もっとよかったのにと思うのだが、そのタイプのカメラで撮しに行ったときは、それほどいいのは撮せない。画質はいいのだが。
 この富士のネオ一眼、このタイプでは、あまりよくないのだが、ファインダーだけはいい。そのファインダー、明るくて綺麗。それだけだ。解像力は少しだけ高い目だが、ピントの山が鮮明に見えるとかではない。絵心を感じさせる程度。これが結構効いている。
 この富士のネオ一眼、安いが1200ミリまである。広角端は25ミリ。要するに画角的には全てOKだ。1000ミリでもいいし、800ミリあたりでも望遠端は十分なほどだろう。このカメラ、富士だけあって、色合いがいい。しかし、これを塗り絵と言われると、まあ、そうなのだが。
 それよりも、このカメラを文句をいいながらも使っているのは、悪い画質にある。本当に悪い。最近使っているどのコンパクトカメラと比べても。
 しかし、そうだろうかと、たまに思うことがある。それは最近の画質というか、鮮明度やメリハリや、細かい箇所まで鮮明というは、結構嘘臭いのだ。では富士のこのカメラの写りが自然かというと、そうでもない。やはり画質が悪いだけかもしれないが、それが写真になる。逆に写真ぽい。それはCGを見ているのではなく、フィルムを見ているようなぼんやりさ加減があるためだ。
 特に望遠のときのほんわかとした感じは、昔のフィムル時代の写りに近い。しっかりと写っていないためだろうか。
 このカメラ、いいところもある。それは一世代前の同じ富士の同タイプでは太陽に向けるとフレアやゴーストが凄く、何ともならなかったが、それが改善されている。太陽そのものを撮しても何ともない。
 結局何かというと、味だろう。それと、オーバー気味の露出が淡い色合いとして出る。写真家の多くがすぐに何でもかんでも暗く撮すのとは正反対だ。実はここが気に入っている。
 そして、意外とレンズが明るい。広角端は、これだけのロングズームなのにF2.9。だから、室内でも結構写せたりする。広角端に限られるが。
 マクロはそのままで1センチまで寄れる。まあ、そう言うことを考えると、7万円超えのミラーレスの28から280が頼りなく思えたりする。280ミリでは何ともならない。600ミリは最低でも欲しいところ。そんなことを考えると、一眼レフではそんなレンズは売っていない。広角から超望遠までいけるレンズに限られるが。定番ではシグマかタムロンの28から400ミリ少しが一番長いだろう。そして最短撮影距離1センチとなると、これは不可能だ。
 パナソニックの28から280も欲しいところなのだが、他の一眼レフや、そのズームレンズなどと比べたとき、一番いいという程度で、ネオ一眼まで含めると、マクロ足らず望遠足らず。ただ、重さはその富士のネオ一眼と同じようなものかもしれない。だから、軽くて小さいので、パナソニックのミラーレスは気に入っているのだが。
 富士のような小さな電子ファインダーだと、光学ファインダーのかわりと言うよりも、レンジファインダー系のファインダーに近くなる。小さいため、それほどピントの山やぼけ具合が見えないためだろう。そのため、合焦位置と、合焦マークを見る程度だ。その絵がかなり綺麗なので、この富士のネオ一眼は救われる。ただピントは中央一点だけで、しかも合いにくい。二回ほどピント位置を変えないと望遠端では一発で合ってくれない。しかし、中央部だけなので、迷いがない。つまり、置きピンで撮すほうが、AFフレームを弄るより早いと言うことだろうか。
 ちなみにこのカメラ、マニュアルフォーカスがない。だから切り替えもないので、いたってシンプルだ。置きピンで何とかせよと言うことだろう。そのため、モードダイヤルなど、一切弄る必要がない。
 しかし、富士はこの手のコンパクトカメラを、もう作らないのだろうか。本当は、このレベルのデジカメで十分写るし、結構綺麗なので、ミラーレスが売れなくなるのを心配してのことだとは思えないが。
 

 


■■ 2016年07月20日 水曜日 午前7時20分
 
 今朝は晴れており、比較的爽やかだ。梅雨明けし、雨空だと、何だ
ったのかと思うが、しっかりと晴れている。これは三日ほど続けば、梅雨明け宣言も大丈夫だったことになる。今年は大丈夫なようだ。
 今朝は意外と涼しい。夜も熱帯夜ではなかった。25度を切り、22度か3度。扇風機を付けて寝る必要はなかった。日が暮れてから行く徒歩散歩でも、汗ばむことはなかった。
 そのため、梅雨が明けると、さらに猛暑、と言うことにはならなかったようだ。昼間は陽射しもあるので、気温は上がるだろうが、大阪方面では35度にはならないようだ。32度ほどだろうか。30度を超えると、どちらにしても暑いが、焼けるような暑さは33度あたりからだろう。ただ風があると、数度低く感じる。日陰に入るとひんやりとするほど。
 ただ、気温は低い目でも蒸し暑いと、苦しいかもしれない。これは日陰に入っていても、あまり効果がない。そういう日は大概曇っているので、日陰もないのだが。
 今朝のよう感じが夏の平均的な暑さだろうか。そのためか、あまり暑いとは思わなかったりする。特に暑くないためだ。じっとしているだけでも汗ばむようなことになると、これは堪らない。扇風機で何とかなる程度までは、まだまだ普通の夏で、普通の夏を過ごしている感じだ。扇風機でも無理で、エアコンを付けないと何ともならなくなると、これは特別暑い日となる。そういう日は一夏一度か二度ぐらいしかない。去年も、その前の年もエアコンは付けなかった。滅多にないためだ。
 エアコンを付けると逆に寒くなる。だから、汗ばみながらも、涼しい場所にいるのがいいのだろう。
 昨日はスーパーで鯖の煮付けを買う。二切れ入っている。それで200円。不思議とサバのフライはない。天麩羅も。元々しつこいためだろうか。ついでにマカロニサラダを買う。こちらの方が高い。このマカロニサラダだけでも十分おかずになる。ハムなども入っているし、マヨネーズなどであえているのか、結構カロリーが高そうだ。そのため、一気に食べられないので、一食分のおかずになる。夏は煮物を作る気になれないので、野菜不足だ。葉物は味噌汁や炒め物に入れやすいが、根ものは煮ないと柔らかくならない。ニンジンやジャガイモだ。それらは纏めて蒸してしまえば問題はない。ポン酢を付けて食べればいい。これも腐りやすいので、食べる分だけ蒸すのがいいのだろう。この時期、食べやすいのはトマトだろう。しかし酸っぱいのに当たると、難儀するが。
 最近一本だけ包んでいるちくわを見かけない。ちくわと言えばカネテツ。紙のような袋に一本だけ入って売られていたのだが、最近見かけない。多いのは三本入りとかだ。サイズが小さいと文句を言うわけではなく、開封すると長持ちしない。昨日スーパーでやっと一本だけのちくわを見付けるが、カネテツではない。別寅だ。カネテツのあの柔らかい色白のちくわは何処へ行ってしまったのだろう。一本包みで、両端をひねったような、あれだ。
 この季節、梅干しより、塩昆布の方がお茶漬けにはいい。お茶漬けの素よりも、梅干しか塩昆布を入れたお茶漬けの方が簡単だ。欲しいのは塩気だろうか。まあ、わさび茶漬けもあるが。
 昔、阪神百貨店の地下の食堂で天麩羅茶漬けがあった。100円だ。何十年前の話だろう。ここは天ぷら屋で海老の普通の天麩羅定食ではなく、イワシの天麩羅定食があった。これが安くて、海老よりもボリュームがあった。天ぷら屋なので、揚げたてだ。和定食などもあり、豆腐や千切り大根が入っていた。この阪神地下食堂街、その向こうは阪神電車のホーム。だから地下二階だろう。伝説の食堂街だった。
 また、客も庶民的で、殆どが尼崎人だったということではないが、親しみやすかった。よそ行きの服装で来ているのだろうが、何処か貧乏臭かった。
 天丼ではなく、天麩羅茶漬け。何か矛盾しているようだが、油の浮いたお茶漬けは珍しいものではない。鮭茶漬けも油が浮くはず。
 極端に言えば、お茶漬けに天かすを入れて食べているようなものだ。このとき、わさび茶漬けが好ましい。
 当然、この天ぷら屋のお茶漬け、普通のお茶漬けもある。梅田で一寸お茶漬けを食べたいとき、貴重な存在だった。飲み屋や焼き肉屋のお茶漬けは、最後だ。それを先に注文してはいけない。だから、お茶漬けのメニューはあっても、それだけを注文できない。
 


■■ 2016年07月18日 月曜日 午前7時21分
 
 今朝は晴れている。晴れていると梅雨が明けたのではないかと思ってしまう。今朝は陽射しはあるが、雲がある。白い雲ではなく、濁った灰色だ。だからすっきりと晴れているわけではない。
 昨夜も熱帯夜だったが、扇風機は付けないで寝た。付けようとしたのだが、朝方寒くなると感じ、そのままにした。あまり寝苦しくなく、そのまま眠れた。窓は開けているが、風はあまり入って来なかったが暑くはなかった。
 それよりも寝起き行く喫茶店が寒い。エアコンの送風口から離れた場所はましだが、そこへ座れないことが多い。その席は一席だけ。左右対称にできているのだが、送風口はややずれている。それで端と端の席がましいのだが、南端がいい。その南端の席が一番送風口より遠い。
 そのためか夏場の喫茶店滞在時間はどの店に入っても短い。寒くていられなくなるためだ。ただし、送風口より遠い席なら多少はましだ。
 昨日は夕食前にパンを食べたので、夕食はあまり腹が空いていない。夕食までに腹が減ると思い、間食として食べたのだが、これが失敗だった。こういうときは食べに行っても、ボリュームが多いので食べきれないだろう。ご飯はあるので、おかずだけ買いに行けばいいのだが、それも面倒なので、コンビニでカップラーメンを買う。志摩の塩ラーメン。志摩は海沿いなので、そのイメージで、塩だろうか。志摩の塩ラーメンが名物かどうかは分からない。その近くの伊勢なら、伊勢うどんが名物だが、これはインスタント化しにくいだろう。
 夕方だと自転車散歩がしやすくなる。それでスーパーへ行くついでに、その周辺をウロウロする。夕方とはいえ暑いのでゆっくりと走る。力むと暑くなるためだ。
 コンビニなら何処にでもあるので、適当に走っていると、すぐにコンビニが見付かった。たまに入る店だ。この店はコンビニ受け取りなどでの最寄り店らしい。結構遠いのだが、この系統のコンビニでは一番近いようだ。いつも行く徒歩距離のコンビニはほぼ町内にある。
 その遠い最寄り店の前にラーメン屋がある。そこでラーメンを食べてもいいのだが、高いだろう。一度入ったことがあるが、それは開店早々だ。もう何年もなるので、以前ほど流行っていないようだが、この周辺に他にラーメン屋はない。
 それでカップラーメンを250円で買う。結構高い。さらに高いのもある。
 カップラーメンなので、結局は麺とスープだけのようなもので、ボリュームはない。だから、丁度だった。そのためか、間食のあとにまた間食したようなものだ。やはりご飯を食べた方がいい。
 コンビニ味噌をやっと使い切ったので、普通の味噌を買っている。同じ容量でコンビニ味噌は百円台だろうか。二百円前後だと思える。これで出汁まで入っている。先日スーパーで買ったのは普通の味噌だが500円近い。この値段の差は何だろう。昔ながらの自然な作り方で、添加物が入っていないためだろう。当然出汁など入っていない。味噌など一度買うと、しばらくは持つ。だから500円近くても、問題はない。
 以前買ったコンビニ味噌は水分が多いのか、濡れている。水が浮いているような感じで、いつものコンビニ味噌と違っていたが、中身を変えたのだと思い、そのまま使っていたが、次に買ったコンビニ味噌は逆に固くなっている。品質がばらばらなのだ。または古いのを買ってしまったのかもしれないが、それは滅多にないだろう。
 それで毎回コンビニ味噌を避けているのだが、朝の喫茶店からの戻り道、味噌が切れているのに気付いたとき、ついついコンビニで買ってしまう。スーパーはまだ開いていない時間のためだろう。
 たまに食べるものならいいが、毎日口にする味噌汁の味噌なので、普通の味噌がいい。スーパーへ行くと、無添加味噌がずらりと並んでいる。コンビニでよく見かける味噌も当然ある。
 
 ゲーム信長の野望は、勝ち方が分かり、順調に進んでいる。厳しい戦いが二度ある。一度目は最初の頃で、ここが一番神経を使う。下手をすると負ける。次に苦しいのは、大きな勢力になったとき、さらに大きな勢力とぶつかるときだ。信長の尾張から始めると、北条になる。この北条との戦いが山場だろう。攻略法は北条より多い兵を導入すること。単純な話だ。北条は全戦力で来ないので、その方面の兵を出しきると、援軍はしばらく来ない。だから緒戦で叩けば城の一つぐらいは奪える。深入りすると、北条の別の軍団が動き出し、大軍が来る。
 北条との戦いは、北条より大きな国になってからだ。北条を倒すと大国になるため、あとは敵なしになる。それで、もう何度も天下統一を果たしたので時代設定や武将を変えてやっている。
 信長がまだ青年時代、信秀も健在な頃から始めると、主人公は信秀になる。この人も結構強い。戦いを重ねるごとに強くなるので、伸び代もある。さらに信長がいる。これが一番強い。だからこれで二人の強い武将がいる。あとは柴田勝家、これも強い。最初から強い武将が織田家には多い。
 桶狭間はまだ先だが、今川が攻めてくるのだが、その前に家康のいる松平家が攻めてくる。城は一つで、小さな勢力だが、隣接しているので、攻めてくるのだろう。これと今川がつぐんでおり、松平の援軍で尾張に来る。北は美濃で、斉藤道三がおり、これが強いし、領地大きく、城も多い。それでサンドイッチになり、織田家は滅亡するのだが、織田家でやると、それをうまく凌げ、さらに勝つことができる。
 隣接する松平は強い武将が多くいる。しかし城一つではそれ以上兵を出せないので、織田とまともに戦えば、兵の多い織田が勝つ。攻めてこられると、その城に援軍を出し、追いだしたあと、松平の城を奪う。当然今川の援軍が来ているのだが、本気ではない。今川の全軍が来ているわけではないためだ。ここが桶狭間とは違う。
 その戦いをやっているとき、斉藤が北から攻めてきて、織田の城を奪うのだが、斉藤もさらに北の朝倉や浅井からも攻められている。これは毎回追い返しているが、それなりに消耗するので、兵が減る。そのときは尾張にはには攻めてこない。
 それよりも、織田のいる尾張にはもう一つの織田家が城を二つも持っている。こことは同盟関係になっているが、それを外し、信秀の織田家として統一する。これでぐっと織田軍の数が増える。だから、北から斉藤が攻めてきても、何とか凌げる。さらに尾張に隣接する長島に本願寺の城がぽつりとある。ここは頑丈な城なので、兵力がいる。しかし、ここも早い目に取ると、城が増えるので、兵も多く動員できる。要するに最初は今川も斉藤も相手にしないで、適当に追い払い、勢力の小さな城を落とすことだ。
 例えば美濃の城一つ取りに行くと、美濃勢、全軍が救援に向かうので、これは全面戦争になり、勝っても兵は減少している。そこに今川が攻めてくればひとたまりもない。
 あとは細かい話で、敵の援軍が来るとき、その街道に遊軍を置く。すると、援軍は立ち往生する。その間に城を取ってしまう。不思議と城が落ちると、敵の援軍は帰ってしまう。奪い返しに来ないのだ。
 そういうコツを覚えたので、織田家は一気に美濃を落とす。斉藤を落とせば、尾張と美濃合わせた領地になり、これは結構大きい。今川は強い武将がいないので、一度大軍同士でぶつかり、そこで勝てば、今川の兵は減るので、一城一城棋倒しで小田原の手前までいける。ここで北条が出て来るので、何とか避ける。まだ兵不足で、北条とは戦えない。
 それよりも、畿内を征服すること。ここを押さえれば大軍を得られる。北条並に。
 武田は大したことはない。武将はもの凄く強いが、国力が無いので、兵が少ないのだ。領土は広いが山が多いため、兵が少ない。

 


■■ 2016年07月17日 日曜日 午前7時09分
 
 今朝は曇っており、少し雨がちらついている。これは降っているのか降っていないのかは分からないが、水溜まりがあれば分かる程度。昨夜は熱帯夜で、扇風機なしでは暑かった。扇風機はかなり遠くに置き、顔にはあたらない角度にする。そのため、首振りの端が腹あたりで止まるように。それでも毎回寒くなる。風が五月蠅い。寝るときはそれほど風は感じないのだが、朝方になると、その風が不快に思えるのだから、不思議だ。体温が下がっているためだろう。それで暖を望んだりする。当然蒲団にくるまっていた。
 気温は猛暑が続いていた頃に比べると、過ごしやすい。暑いことは暑いが、まだまだまし。梅雨明け、この猛暑を警戒している。しかし、どちらに出るかは分からない。まさか冷夏に出るとは思えないが、猛暑が続くと難儀だ。真夏でももの凄く暑い日は三日ほどで終わる。中休みがあり、そのあと暑い日は何度も来るが、これが一週間ほど連続すると、バテてしまう。猛暑はいいのだが、長く続きすぎるのがいけない。
 それと猛暑が続いていても、夕立があると助かる。これもない夏があり、これは休まるところがなかった。夕立さえあれば、何とかなる。
 さて、梅雨明けはどうなるのか、今年は暑そうだという噂があるので、梅雨明けが怖いような気がする。
 朝の喫茶店での冷房が強いので、上着を代えてきた。ぺらぺらのカッターシャツでは寒いので、薄いパーカーにする。これは身体にぴたりと決まるので、暑苦しい。腕まくりをするとき、きつく感じるほど細い。しかし僅かだが暖があり、化繊で密度が高いのだろう。裏地もあり、これはガーゼのようなもの。べたつかないようにしているのだろう。要するに腕や首筋が寒い。だから密着性のある、このパーカーに変えた。
 当然パーカーなので、フードがあり、これをたぐり寄せれば首元もガードされる。日除けではなく、エアコン除けだ。
 このパーカーだとポケットがあるので、カメラが入る。ズボンのポケットに入れているより取り出しやすい。
 ズボンにぶら下げる小さな鞄がある。引っかけるような感じで、バンド止めに止める。それはコーヒーカップのように横から出ており、鞄の入り口の横にある。そのため、口が常に上を向いており、開けた状態でも、水平を保っている。その口が広く大きい。これは取り出しやすいし、入れやすいだろう。そういうのを腰の少し後ろ側に付けている人を見かけた。横だとぶつけるだろう。だからズボンの後ろポケット近くだ。口がぱっくりと開いているのが印象的だった。閉めれば閉じるのだろう。それを財布にしている青年だった。札と小銭が見えている。これは出しやすいだろう。ズボンの後ろポケットに長財布を突っ込んでいる人もいるが、半分ほどは出ている。抜かれると一発だし、それ以前に落ちるだろう。特に自転車に乗っているとき角度が悪い。一度普通の財布を落としたことがある。幸い後ろから来ていた自転車の人に言われたので、気が付いたが、そういう財布にはカード類などが入っているので、落とせば厄介だ。かなりの手間がかかる。
 しかし、その袋フック式だが、バンド通しが切れれば一発だ。また、袋そのものが外れたりすると厄介だろう。だから貴重品ではなく、落としてもいい物を入れるのならいいだろう。結局鞄が一番安定している。これは忘れることはあっても落とすことはないだろう。
 
 ニコンの型落ちの一眼レフダブルズームキットが4万円台になっている。この値段、かなり安いというか、高級コンパクトとより遙かに安い。1インチタイプなら、その倍をしていたりする。
 このニコンの3300.ニコンの一眼の中で一番軽いのではないかと思える。ある時期、小さく軽い一眼レフが出ていた頃があり、その頃のものだろうか。レンズは二本共沈胴だが、それほど短くはならない。ただ、軽い。
 不思議に思うのはきっちりと写せる光学式ファインダー付きなのに、この安さだ。これはキットレンズの恩恵かもしれない。少しいいレンズなら4万円ではない。
 ちなみにニコンの1インチ一眼はその値段をかなり超えている。標準ズームと50ミリ単焦点付きでも5万円代。望遠付きになると6万円台を超える。同じにニコンでも、これだけ差がある。その1インチニコンはファインダーなどない。しかし、ポケットにも入りそうなほど小さく軽い。そちらの方が高いのだ。
 これは結局一眼レフは、いくら小さく作っても、それなりに大きく重いので、気楽に持ち出すようなことはしにくいためだろう。ニコン1インチタイプはレンズを交換できるので、一眼レフジャンルに入っているが、そのあと出る1インチコンパクトカメラは、それよりも高い。つまりコンパクトカメラの方が最近高いのだ。
 9000円で買った標準ズーム付きのペンタックス一眼レフ。これは撮しているときは、他のカメラよりも充実し、写した気になるが、鞄が重いので、毎日持ち出せない。問題はここなのだろう。
 

■■ 2016年07月16日 土曜日 午前7時09分
 
 今朝は寒い。21度。20度を切るとホームゴタツがいる。梅雨時ホームゴタツがまだいるというのは、そう言うことだろう。昨日は窓を閉めて寝たので、冷えることはなかった。昨日は昼間から気温は低かった。
 今朝は陽射しがあるので、晴れるのかもしれない。朝の天気だけで一日は分からない。朝が一日を代表しているわけではない。梅雨末期か俄雨が多い。黒い雲が移動しているのが見えたりする。風雲急を告げるというやつだ。天気を告げるわけではなく、天下が変わるような何かが起こりそうなお知らせだろうか。嵐が来るぞと言うことだろう。
 昨日は天気が悪いためか、一日しんどかった。暑さよりも、湿気の方がきついかもしれない。暑いのか寒いのかよく分からなくなる。
 天気が悪いと言うより不安定。降ったりやんだりしていた。降るなら降り続ける。これで安定する。晴れるならずっと晴れている、暑くて仕方がないが、これも安定している。不安定とはそれが一定しない。
 そういう雨空を7000円で買ったライカで撮す。レンズ部の部品が破損し、骨が見えているが、撮影には影響はない。写りにも影響がない。ズボンのポケットに入るので、雨が降っている日でも、さっと出して撮せる。
 その前に9000円で買ったペンタックスの一眼レフも良い。安いからいいという感じではないが。ただ、一眼レフは重く大きいので、気合いがないと持ち出せない。
 この7000円ライカの次に出た本家パナソニック版がLX5だろうと思える。その次に出たのが最終機のLX7。そのあと受光素子をミラーレスと同じ大きさにしたのを出しており、それが最新機となる。こちらになるとファインダーが付く。
 しかし、興味深いのはLX7だ。こちらはレンズが1.4。コンパクト系でこの明るさは、比べるものはリコーにあるだけ。そのリコーも、受光素子を大きくしたため、最新機は1.4ではなくなっているが、まあ、あまり変わらないだろう。つまりF2あれば明るいと言うことだ。それに滅多に開放にはならない。オートで撮していると薄暗いところでも、開放にならなかったりする。まだそれほど暗くないためだろうか。
 1.4を使うには絞り優先などにしないと、滅多に入らない。ただ、コンパクト系の普通のカメラは開放になることが多い。殆ど開放だったりするのは、絞りが二つしかなかったりするためだ。余程明るいところを撮さない限り、絞られない。これは開放が一番一番綺麗なためだと言われている。受光素子が小さいので、絞ると危なくなるらしい。またコンパクト系のレンズは暗いので、最初から絞っているようなものだ。
 さて、この7000円ライカの写し方だが、ズーム比が小さいので、被写体が絞られる。望遠が使えないので、撮す範囲も限られる。住宅地で蝉捕りをしている子供達がいたのでさっとカメラを取り出す。望遠ならアップで撮れる。しかし、望遠端は60ミリしかなく、これは標準レンズの画角内だ。デジタルズーム域に入れても120ミリほどだろう。後でその写真を見ると、住宅地で蝉捕りをしている子供達という絵になった。蝉捕りをしている子供の写真ではなく、セミなどいる気配のない宅地で網を伸ばしている。その先は小さな庭木。そこにいるのだろう。意外とその状況がよく分かる。ただ、蝉捕りの子供がいなければ、写す気にならないような住宅地。だから最低100ミリがあれば、何とかなると言うことだろう。トリミングなどしなくてもいい。まあ、100ミリまでのズームなら、デジタルズームで200ミリになる。これもトリミングの一種だろうが。
 これが28ミリなどの単焦点カメラならどうだろう。広すぎ、小さく写り込んでしまい、蝉捕りの子供が分からなくなるかというと、そうではなく、小さいながらもよく分かるだろう。目立つからだ。しかし、そういう写真、パソコンでサムネールで小さい絵から選ぶとき、何を写した写真なのかが分からなかったりするのだが。
 次は踏み切りの手前から線路を撮す。踏切待ちで暇なためだ。いつもなら電車の正面を狙い撃ちするのだが、望遠がないのでできない。それで、1メートル先の金網越しに通り過ぎる電車を入れて撮す。電車が入っていなくてもよかったのだが。
 しかもそれを24ミリの広角で写す。こういう写真はあとでパソコンで大きな画面にしてみると、色々なものが写り込んでいるので、楽しめる。ピントはほぼ全域合っている。これは絞らなくても、受光素子が小さいので、全部合うのだ。AFなどいらないほどだ。
 しかし、そういう写し方、この7000円ライカだからできるのかもしれない。何となくライカ風な写真になる。それは昔CLというミノルタのライカマウントのカメラで撮していたときと同じだ。ライカ風写真というのがある。
 では何がライカ風なのか。それは日本カメラやアサヒカメラなどのカメラ雑誌で、ライカで写した写真の影響だろう。一寸引き気味なのだ。情感たっぷりでもなく、どぎついドキュメンタリータッチでもなく、さっと風景を切り取ったような写真だ。
 そういう写真は、報道系でもなく、商業系でもなく、所謂写真作家系の写真だ。つまり文学的なのだ。
 ただそういう写真は不思議と露出が暗い。だから、写真の雰囲気も暗い。
 そんなことを考えながら、普段あまり撮さないような写し方で、この7000円ライカ撮影をやっている。
 
 
■■ 2016年07月15日 金曜日 午前7時18分
 
 今朝はひんやりとしている。久しぶりに熱帯夜の25度を切った。22度ほど。寝る前蒸し暑かったので、窓を開けて寝ていたが、カーテンは閉めていた。このカーテンが効いたのだろう。本来なら、窓は閉めないといけないほど気温は低かった。当然蒲団をかぶって寝ていた。
 雨も降っていたようだが、小雨だろうか。寝起き行く喫茶店への道では降っていなかったが、いつ降ってもおかしくはないほどの曇天。
 しかし、湿気が高いのが曲者で、これで気温以上に暑く感じる。汗なども出やすいだろう。しかし、意外と気温は低い。扇風機などを付けていると、寒くなってきたりする。
 7月も中頃になっている。梅雨明けはこの辺りだろうか。去年のことは覚えていない。中旬の終わりがけ、下旬の初めぐらいが梅雨明けかもしれない。中旬ではまだ早いのだろう。下旬にかかると見たほうがいいのだろうか。これはあとで分かることだが、去年より二日早いとか遅いか程度で、それほどのズレはない。もう少しずれているように感じたりする。一週間とか二週間ほど遅いとか早いとか。それほどぴたりと去年と同じような日に梅雨明けになるとは、思えなかったりするためだ。今年はどうか。この確認は今年が初めてだ。
 似たようなことで、桜の開花がある。これも去年より数日早いとか遅いとかになるが、それが何月何日なのかは記憶にない。色々なことがあった上での明日で、少し前からの延長線上にある。暑い日があったとか、雨が多かったとか、そういった記憶の延長の先に今日や明日がある。だから、そろそろ、と思うのは、それが効いている。
 それでも忙しく日々を送っている人なら、梅雨など意識していないかもしれない。雨が多い程度。いつの間にか梅雨入りし、いつの間にか梅雨が明けていたとか。
 
 7000円ライカの続き。
 マニュアルがないのでネット上にあるPDFを見る。これは機種名と取扱説明書をタイプすれば、一発で出てくる。正面入り口が何処なのかは分からない。
 電子ダイヤルのかわりに、棒がある。ノートパソコンのキーボードの真ん中にある棒のようなものだ。左右上下に動く。十字キーはあるが、その周辺は回らない。絞り優先とかシャッター優先とかができるので、十字キーでは無理だ。他の機能が割り当てられているので。だから電子ダイヤル的なものを探していると、その棒が出てきた。露出補正にも使えるようだ。ジョグダイヤルよりも使いやすいが、殆ど使わないだろう。露出補正をするにしても、屋外では液晶がよく見えないので、よく分からないためだ。まあ、よく見えても、あまり露出補正はしない。
 カメラは小さいが、AFロックなどのボタンが独立してある。当然AFからの切り替えも表に出ており、これはレンズ側にあり、スライド式だ。十字キーによく仕込まれているマクロ切り替えボタンだが、十字キーにはない。これもレンズ側にある。マクロモードでも遠方までピントが合うので、そこに入れっぱなしでもいい。ただAFが少し遅くなったりするかもしれない。
 AFのフレームだが、一点や極小などもある。また、軍艦部に独立したボタンがあり、それを押すとAFの位置を変えられる。動画ボタンなどがある位置だ。電源ボタンと間違えてよく押す。
 ファンクションボタンは一つだけあり、これは十字キーにある。マクロ切り替えなどがレンズ側へ行ったので、空いているのだろう。
 液晶は明るいところではよく見えない。これは時代を感じるが、自動的に明るくする機能がある。初期状態ではそうなっていない。明るさに応じて、液晶も明るくなるので、これは便利だ。さらに最大の明るさになるモードもある。自動でもそのモードになるはずだが、どうだろう。当然手動で上げることができるが、ものすごく白飛びしたりする。明るさよりも反射の方がきつい。このときは何も見えない。自分の顔が写っていたりする。
 それで、適当に写したものでも、それなりに写っている。ズーム比がそれほどないので、前方にカメラを向けておれば、何とかなる。ノーファインダーに近いが。この小さなカメラではそれ以上のことは望まないだろう。ほぼちょい写しなのだから。
 さて、写りだが、アンダー気味に出ることが分かった。絵は地味で、あまりデジタル臭さがない程度。まだ超解像云々がなかった時代のためだろう。まあ、このおかげで、小さな受光素子のコンパクトカメラが一眼レフ並に写っているのだ。それはスマホで写した写真を見れば分かるほど。
 先日キタムラにあったソニーのRX100が気になるので、調べていたのだが、その中で、似たようなことを言っている人がいた。4年間使ったRX100からの買い換えで、富士のコンパクトを買った人がいる。1インチ受光素子から、その四分の一ほどのコンパクト系に変えたのだ。富士のポケットに入るXシリーズなので、少しだけ受光素子は大きい目だが、1インチと比べるとかなり小さい。しかし、買った人の言い分は映像エンジン。その機種から変えてきたのだ。これで1インチ並の画質になると。だから1インチのRX100に拘る必要はないと。それよりもその富士の方が最短撮影距離が短いので、使いやすいとか。
 確かにそれは言える。ミラーレスの一眼レフで撮したものと、ネオ一眼で撮したものとの差が殆どない。むしろネオ一眼の小さな受光素子タイプで撮したものの方がはっきり鮮明に写っていたりする。しかし、写真的な滑らかさとかになると、また別なのだろう。当然一番大きいのはぼけ具合だ。
 だから、1インチでの背景のぼけ具合と、コンパクト系のぼけ具合は全く違うので、同じにはならないと言うことだろう。つまり受光素子の大きなカメラはボケるしかないと言うことだ。
 この7000円ライカは、パナソニックのLX5などと同じで、少しだけ受光素子は大きい。僅かな差だが、普通のコンパクト系に比べ、背景のボケが目立つ。1インチまで行かなくても。ただし、かなりの近距離での話だが。その違いは、喫茶店でノートパソコンのキーボードを撮しているときに入り込む客だ。普通のコンパクト系では下手をすると、しっかりと誰なのかが写っているが、少しだけ大きい目の受光素子だとボケてくれる。だから客の顔が入っていても、誰だか分からない。
 ボケると、それだけ画面上に占める面積が広くなる。そのため、柔らかい写真に見える。
 暗くなってからの徒歩散歩コースで、このカメラで撮す。24ミリ開放F2.感度は3200まで自動的に上がるので、怖いものなしだが、意外と暗い目に写る。だから夜なのに昼間のように空が写り雲が写っているような絵ではなく、光が当たっているところだけが映っているような夜景になる。これはシーン認識で夜景に入ったのかもしれないが。
 また、カメラの機種により、四分の一秒以下には落ちないカメラがある。だから、露出アンダーのまま写ったりする。この場合は、光があるところだけは写っている。実際にはそこが適正か、まだオーバー気味なのかもしれない。月を撮すと、真っ白になり飛んでしまうようなものだ。意外と明るいのだ。
 ライカの色づけらしいが、よく分からない。地味というしかない。
 
 
 
■■ 2016年07月14日 木曜日 午前7時23分
 
 今朝は晴れている。これで梅雨明けということではないかもしれないが、セミもよく鳴いている。セミが鳴けば梅雨が上がったというわけでもない。しかし、コスモスが咲き、トンボが飛び、柿の青い実が風雨で地面に落ちているのを見ると、梅雨と合わない。
 昨日も熱帯夜の25度だったが扇風機はいらなかった。窓は開けて寝ていたのだが、涼しいほどで、蒲団をかぶっていた。毛布だが。
 これはカーテンを閉めないと寒いほどで、窓そのものは閉めなくてもいいが、暑さの勢いが雨のためか弱まっていた。ただ、曇っている日は蒸し暑い。それで扇風機を付けると、寒く感じる。付けないと蒸し暑い。
 しかし、晴れて気温が高いと、日差しで部屋が暑くなり、座ってられないほどになる。それに比べると、蒸し暑い方がましだ。
 昼寝ができないのも、暑いためだろうか。一応横になるが、しっかりとは眠れない。まあ横になるだけでも昼寝だ。そのためか、夜は長く眠れる。まだ朝ではなく、夜中に近い時間に起きてしまうと厄介だ。そういう時間に目が覚めることもあるが、すぐにまた寝る。それが寝られないときは厳しい。寝る楽しみというのは、誰にでもできる。何も条件はいらない。そのためか、眠れないと厳しい。
 
 昨日は、先日カメラのキタムラ中古売り場で見たライカの7000円のコンパクトカメラを買いに行く。夕方前の喫茶店に入ってからだが、雨が降っていた。俄雨。それでは行けない。降りが少し強いためだ。傘があっても濡れる。しかし、喫茶店を出たとき、やんでいた。降り不足か、ムアンとするような空気だ。地面がまだ雨で冷やされる前にやんだためだろうか。
 中古カメラは足が速い。カメラ屋のカメラは在庫がある。中古屋のカメラは一台しかないので、行ってもなかったりする。誰か悪い奴に先を越されたのだ。その犯人を知っていたりする。
 この7000円のライカカメラ、キタムラのその店のブログでも取り上げられている。誰がそんなもの見ているのかは知らないが、店情報だ。中古カメラの入荷状態などをたまに書かれている。感想とかも。レンズ部に落下による破損で、欠損部があるジャンクものとなっている。そのため、お安くしていますとなっていた。しかし7000円とは驚きだ。それの美品は4万円近い。出物だろう。珍品というわけではないが、ライカのコンパクトなどお目にかからない品だ。だからブログに載せたのだろうか。
 このブログとは別に、カメラのキタムラの中古情報がある。全店纏めてデータ化している。カメラと共に、展示している店の名も出る。また、他店で出た中古も、別の店で受け取れるようになっている。まあ、お取り寄せだ。だから、いつものキタムラの店員から買うということになる。あの客はよく買う客だと思われるので、それは避けたい。
 さて、それで雨上がりのキタムラへ行くと、7000円ライカは無事にあった。平日の夕方前なので客はいないに近い。だから店員はすぐに来てくれた。店長だ。
 傷の程度を聞くと、撮影中、レンズが出ているときに、落としたのではないかという話。レンズから落ちたのか、落ちたとき、カメラが回転し、飛び出ているレンズが地面に当たったのか、その衝撃でレンズが割れたように見える。しかし、レンズそのものは無事のようだ。レンズ周辺の部品が不規則に割れた感じだ。だから部品がギザギザ状態でくっついている。またレンズ画角や絞りなどが表示されている箇所が飛んでいるので、もう一枚何かあったのだろう。それが消えているので、破損であり、欠損だ。ない部分がある。だから、中古では値段が付けにくい。直らないためだ。修理もできない。レンズユニットを変える以外は。
 電源を入れ、シャッターを切ると写る。内蔵メモリに記録された。光軸がずれているかどうかは分からないが、レンズはそれほどぐらぐらしない。元々このタイプのレンズはゆとりがあるので、少しは動く。
 7000円なので、住所などを書かなくてもいい。これは古美術品のお約束だ。1万円を超えると、住所と名前と電話番号を書かないといけない。
 その日は鞄に富士のX20を入れていた。こちらの方がライカなのだが。
 帰って来て、すぐに試写。バッテリーは充電され、最初から入っている。それと充電器が付いている。ライカと書かれている。ストラップは最初から付いていたが、ライカとは書かれていない。
 部屋でじっくり見ると、極上。Aクラスだ。レンズ先端だけが悪く、他は綺麗なのだ。これで7000円は安い。
 このカメラ、誕生日にキタムラで買ったパナソニックのLX5の前のバージョンのライカ版だろうか。バージョンが近いので、操作も似たようなものだが、28ミリが24ミリになり、90ミリが60ミリになっている。大きさはライカの方が小さく見えるのは、デザインのためだろうか。そして少し軽い。このライカはLX4だと思えるが、4があったかどうかかまでは調べていない。4は、日本では避けられる。
 十年以上も前のカメラだが、今あるようなカメラの機能はほぼある。ただ、超解像何とかはまだなかった時代のようだ。AFの速さは、今とあまり変わらない。
 年を取り、ある年代になれば、ライカで撮したいと思っていたのだが、7000円で買えた。キタムラで完動品のカメラで、一番安いデジカメを買ったことになる。つまりライカが一番安いという皮肉な話だ。それ以上安い中古はある。だがそれはフィルムカメラ時代のものだ。現場監督とか。
 ものはパナソニックだが、チューニングはライカ。だからライカの残り香のようなものが、少しはあるのだろう。ご飯の大とあまり変わらない値段で、松茸ご飯がある。松茸の欠片が僅かに入っている。
 ではライカとは何だったのか。中古屋で一番高い小型カメラというイメージだ。ライカも昔から一眼レフを出しているので、レンジファインダーだけがライカではないのだが、そのイメージが強い。
 今回買ったのはライカ社のライカなので、コピーライカではない。しかし、何をコピーしていたのだろうか。
 そのライカの中身はパナソニックの高級コンパクトデジカメなのだから、コピー先が分からなくなる。レンズは既にライカレンズをパナソニックは使っている。安いコンパクトカメラでも。ただ、ミラーレス用レンズになると、ライカレンズは少ない。これはレンズ単体で売っているためだろうか。コンパクトカメラはレンズは抜けないので甘いのだろうか。ライカが作っているわけではなく、チェックしているだけだろうが。
 ミラーレスレンズの高級版だけがライカ名が付く。高いので、おまけが必要なのだろう。ライカという。
 しかし、7000円でライカが買えた。これは痛快だ。ただ、レンズ部はそんで、ライカのレンズ名が飛んでいた。


■■ 2016年07月13日 水曜日 午前7時12分
 
 今朝は雨。まだ梅雨時だと言わんばかりに。梅雨末期の雨は荒れるようだ。夏の雨はスコール。俄雨なので、これは梅雨との違いのだろう。梅雨はずっと降っている感じ。だから、一時間辺りの雨量は大したことはない。それが梅雨のイメージだが、違うのかもしれない。
 一週間予報を見ていると、久しぶりに太陽マークが続いている日が先にある。その辺りが梅雨明けかもしれない。7月の中旬、時期的にもそんな感じだろう。この一週間予報、最近滅多に太陽マークはない。しかし晴れていたりするし、陽射しがあるし、猛暑になっていたりする。だがしっかりと太陽マークが出ていなかった。曇りばかりが続いていた。曇りは灰色。どちらにも変化する。
 朝の喫茶店まで自転車で走っていると、見かけたことのある人が歩いていた。しかし、しっかりとしたものではない。手ぶらで歩いているので、朝の散歩人かもしれないが、時間的には中学生の登校中。だから、この人は休みか、ずっと休みか、どちらかだろう。
 これが喫茶店までの道でなら見たことがあるとは思わない。喫茶店で見た覚えがあるためだ。しかも後ろ姿か横だけ。これはいつもカウンターで座っている人だ。その人かどうかは分からないが、似たような風貌なのだ。
 喫茶店内でその人をしっかりと見続けたり、注目したりしたことはない。店内でパソコンで触っていて、一寸目を上げたところに正面にいる。見るでもなく、見ないでもない。
 その前を歩いている人が喫茶店での客であることを確定させやすいのは時間帯だ。そのまま歩いていけば、いつもの時間に座れる。これが昼間なら、そうは考えないだろう。
 しかし、別人かもしれないと思い、上着の柄だけを確認する。そして追い越し、喫茶店に入り、しばらくするとカウンターに人が座った。同じ柄の服の人だった。
 
 昨日はソニーのデジカメ、RX100が気になるので、カメラのキタムラへ寄ってみた。
 まだ売れないで残っていたが、人気商品なので、足は速いだろう。しかし、2万円だと思っていたら、税込みで26000円。これは安くない。中古の相場だ。1万円台なら買ってもいいが、これは確実に2万円代。19000円なら買ってもいいが、2万円の半ばを越えているのでこれは3万円だ。これは枠が違ってくる。3万円出すのなら、もっと良いものがある。
 そう思いながら覗いていると、赤い丸を見た。カメラの正面に赤い丸のマーク。これで分かるだろう。ライカだ。しかも二台。さらに同じ機種だ。これは正体は分かっている。パナソニック製だ。以前ここで買い、今朝もポケットに入れているLX5の前のバージョンのライカ版なのだ。それだけでとんでもない値段をしていたが、何と7000円。嘘だ。
 もう一台は4万円近い。まあ、それが相場だろう。では7000円のライカは何か。これは故障品ではないが、怪我がひどすぎ破損している。欠落している。レンズ周りをぶつけたのか、玉は無事らしいが、周辺が壊れている。ギザギザが出ているような。落下跡大きな傷ありとなっているが、これだろうか。作動はするとなっているが、レンズをぶつけたのなら、光軸がずれているかもしれない。しかしレンズから落ちるとは思えないので、これはこれでまた別の破損だろうか。レンズにライカレンズを示すロゴがあるのだが、それが消えている。剥がれたのだろうか。
 ボディーがパナソニック製なら、このカメラ、かなり丈夫で、頑丈なのだ。小さいが鉄板を感じる。少し分厚い目の。
 24ミリF1.8と非常に明るい。ただ望遠端は60ミリか70ミリだろう。望遠端でも暗くならない。これはRX100よりスペックは高い。
 しかし、これならいつも使っているLX5の旧バージョンを買うようなものになり、どう違うのかの話になるが、赤いマークが違う。水戸黄門の印籠のようなものだ。
 それとの違いはチューニングらしい。ライカラボの鮮明度や色目に合わせてあるらしい。だから、ライカの色、ライカの写りということになるが、そうしないとライカの色にはならないのだろうか。ライカのレンズが付いているのに。
 それよりも、フィルムそのものがないのだから、フィルム特性ではなく、このレンズで写せば、こういう色目になるはずというのがあるのかもしれない。
 最近フィルムカメラが一寸した人気があるらしい。市場が動くほどのことではないだろうが、中古カメラ屋での問い合わせが多くなったらしい。特に若い人からの。
 これは何かというと、写りの軟らかさらしい。これが見直されているとか。デジカメの超解像技術とか、また画素数をあれほど上げながらもしっかりと写っているのは、これは塗り絵なのだろう。またはかりかりと書き直したりしているような感じだ。これをデジタル臭いという。作りすぎというより、鮮明に写りすぎている。
 それで初期のデジタル一眼レフあたりのカメラが気になっていたのだが、その写りの自然さだ。キタムラでまだ売れないで残っているミノルタのデジタル一眼レフ。13000円だが、CCDで600万画素。当時500万画素あれば、凄いものだった。
 クラシックレンズを、今のカメラに付ければ、それなりに味のある絵になるかもしれないが、デジタル処理で、やはりフィルム時代の軟らかさは難しいのではないかと思える。まあ、中に入っているフィルターで、それらしくなるが。
 それに写した写真は、殆どがモニター上で見ているので、紙焼きしてみないと分からないかもしれない。
 そう言えば、キタムラの中古に、昔の大きなコンパクトカメラも置かれている。1万円を切っている。そういう需要があるのだろう。
 しかし、ジャンクもののライカが7000円。正体は分かっているが、ライカで撮した、ライカのデジタルカメラを持っていると言っても嘘にはならない。
 これはナショナル時代にもあったのではないか。フィルム時代だ。ミノルタのCLが有名だ。そのライカ版がライツミノルタCL。ライカマウントでレンズ交換ができた。
 7000円なら買いだ。そうなると、一番安いカメラがライカということになる。キタムラで一番安いデジタルカメラがライカに。ものすごい皮肉だ。
 これでソニーの1インチ高級コンパクトのRX100が吹っ飛んだ。7000円でライカが買えるのなら、そっちだろう。ちなみに美品は4万円近い。同じ人がこの二台を持ち込んだのだろうか。この7000円タイプは保証なし、現状渡し。ただし、動くらしい。
 もし買えば、ライカを買った。ライカで撮していると、言える。
 LX5が28から90.そのライカはその前の機種なので24から60だと思える。望遠は弱いが、この60ミリ、ほぼ標準レンズの画角だ。さっと取り出して撮すとき、ズームを目一杯伸ばせて写せる。90ミリまであると、望遠になってしまうが、60ミリなら標準レンズで写しているのと同じ。だから、電源を入れたあと、さっとズームを目一杯引けば良い。レバー式電動ズームは途中で止める方が難しい。
 また、ライカ式鮮明度設定や色目も見てみたい気がする。それがライカの味付けなら、ライカで撮ったと言える。そこがパナソニックと少し変えてきているところだろうか。デザインも一寸だけ違う。
 


■■ 2016年07月12日 火曜日 午前7時15分
 
 雨が降っていたようだが、朝はやんでいる。喫茶店へ行く道中さえ降っていなければ、いくら雨が降っていてもいい。しかし、湿気でねちっとしているのは、あまり気持ちの良いものではない。雨の日でも、爽やかというか、ねちっとしないのもある。降る前の方が湿気が強いのかもしれない。降ると湿気そのものなので、意外とあっさりしていたりする。どちらにしても曇っている日は蒸し暑い。さらに風がないと。
 夏は食欲がないようで、ある。まあ、食べなければ腹が減り、食欲も湧くだろう。腹が減りすぎて逆に食欲がなくなるというのもありそうだが。
 昨日はアジの南蛮漬けを買う。小さなアジがいくつか入っている。それで280円ほどだろう。申し訳程度に玉葱が入っている。ニンジンも入っているが、これは彩り程度。南蛮漬けなので、酸っぱい。夏はこれだろう。
 同じアジだが、アジのフライやアジの天麩羅も売っている。そちらのアジの方が大きいが、南蛮漬けは数が多い。そして食べやすい。似たようなものとしてイワシの佃煮がある。かなり離れるが、アジとイワシは安いので、似たようなものに思えたりする。イワシの天麩羅もある。こちらは糸のような骨があるが。アジは尻尾近くの鱗が尖っており、これが痛い。皮なのだが。
 イワシの佃煮のようなものは、色々と出ている。それぞれパックが違うだけで、似たようなものだが、300円以上する。一度に食べきれないので、長持ちするので、毎朝食べたりできる。それよりも、アジの南蛮漬けの方が安い。量的には缶詰が一番安いが、あの汁がいけない。
 それで、昨日は他に夏用の食べやすいものを探すと、塩昆布がある。これはダイレクトだ。おかずと言うより、ご飯しかないとき、これで何とかなる。お茶漬けにしてもいい。暑いときは塩分を欲しがるのかもしれない。それと大豆。いつものフジッコだ。大豆だけではなく、昆布や野菜が入っていたりする。それで商品名が違う。
 スーパー惣菜コーナーにも豆類はあるが、親指ほどの青い豆を煮たものがあった。昔の市場のおかず屋なら、そういうのがずらりと並んでいたのだが、今はメーカーものが多い。それらはコンビニでも売られている。
 だから、スーパーオリジナルのおかずが良いのだが、ポテトサラダとか、その程度だろうか。おからもある。きんぴらゴボウはどうだろう。その店で作ったものかどうかは分からないが、最近のスーパーは調理場を持っており、結構自家製が多い。
 要するにおせち料理のようなものが食べたかったりする。
 結局、天麩羅やフライものになりやすい。トンカツ、ミンチカツ、ヒレカツとか、コロッケ。野菜の煮物パックよりも、トンカツの方が安かったりする。
 
 前回のカメラのキタムラ定期見学で言い忘れいたカメラがある。それはソニーのコンパクトカメラRX100が2万円。この1インチタイプコンパクトはキヤノンが良いと思っているので、視野に入っていても、無視していた。
 RX100の衝撃というか、そんな大層な話ではないが、1インチタイプコンパクトの火付け役だ。ここから始まっている。しかし、ニコンは既に1インチを出していた。こちらは一眼レフで、レンズは変えられる。かなり以前から出している。結構小さい。ボディーだけならRX100より小さいかもしれない。
 このRX100系はノーマークだったのは、シャッターが低いので押しにくい。キヤノンは押しやすい。それだけだ。
 それで、昨日上新でRX100系を見に行く。その後出た二機種が並んでいる。どちらもほぼ同じ。電源ボタンがしんどい位置にあり、押しにくい。これもノーマークになる原因だ。ポケットから取り出してさっと電源が入らないのだ。
 ところが、初代のRX100は電源ボタンが中央側にあり、窪みの中にボタンがある。これなら押しやすい。だから電源ボタンの押しやすさは、初代が一番だ。さらに初代は250グラム。その後出たタイプはどれも重くなっている。だから、意外と初代は良いのだ。
 レンズは28から100で、広角端は非常に明るいが、望遠側は普通に暗い。その後継機になると28が24になり、望遠が100ミリあったのに、広角側にシフトしてしまった。その辺りキヤノンが勝っている。後出しのためだろう。
 初代は液晶は回転しない。それで安いのかもしれないが、軽くすっきりとしている。後継機になるとファインダーが付いたりするが。しかし、小さなカメラでファインダーを覗くのはかなり窮屈だが。
 だからRX100というのはそういうカメラではなく、受光素子が大きい目のただのコンパクトカメラなのだ。普通のコンパクトよりも高級ですよ、と言う程度だが、ボディーはしっかりとしており、加工も良い。ポケットにするっと入る滑らかさがある。
 前回キタムラで誕生日に買ったパナソニックの最高級コンパクトLX5とタイプは似ている。撮す守備範囲や、写し方が。高倍率ズームではなく、広角がメインだろう。これはズームする時間がないので、さっと撮してしまうことが多い。
 要するにちょい写しが、このタイプのメインで、さっと取り出し、さっと写し取る感じだ。これで2万円かと思うと、かなり安い。ちなみにキヤノンの初代は4万円でキタムラで出ていた。中古になっても下がらなかったのだ。
 この28から100とかのコンパクト系は、撮す気がないときによく持ち出す。今朝もパナソニックのLXをポケットに入れていた。徒歩散歩の時にも入れている。これと先日買い直したTZ60を持って行けば、望遠までカバーできるが、TZ60の方が実は広角端が24ミリと、これ一台で何でもやってしまえるので、そのときはLXは持ち出さない。逆に高倍率タイプの方が軽かったりする。
 RX100になると、使い方はLX5と同じだが、1インチの画質が楽しめる。というより、どんなものかを体験できる。
 実際には画質よりも、ピントの幅だろう。
 昨日はそのRX100系の新型カメラ二機種を見ていたのだが、ついでに同じ1インチのニコンの一眼レフ系を触る。やはりこちらの方がよい。レンズの飛び出しがあるので、ポケットはしんどいが、50ミリ相当のレンズを付けることができる。これは正月明けに考えていたフナ釣カメラ路線だ。50ミリで始まり50ミリで終わるという、あれだ。
 通り道で、さっと出して、さっと撮すとき、コンパクト系は広角になる。ズームする時間がないのだ。あればいいのだが、大概は間に合わない。ワンテンポ遅れるためだろう。被写体が動かなくても。
 これが50ミリなら、見たままの距離感と大きさで撮せる。誇張がないためだ。
 また、それがすんなりといくのが富士の透視ファインダー付きコンパクトカメラだ。電源を入れるとき、画角を決められる。アナログ式ズームのためだ。当然ファインダーは透視ファインダーなので、タイムラグは一切ない。その代わりピントもなく、写っている範囲も曖昧だが。冬場の上着ならポケットに入るが、夏場は無理。ズボンのポケットに入るのだが、結構苦しいが入らないわけではない。
 自転車なら、ポケットから取り出す時間と、前籠の鞄から取り出す時間はあまり変わらないのだが。
 ズボンのポケットに入れっぱなしの場合300グラムが限界だ。太ももと接触して、痛くなってきたりするし、ズボンがずれる。
 一日三回ほどは外に出る。これは喫茶店だ。その他にも色々と外に出るのだが、出るとき、毎回カメラを換えている。そのカメラにより、写し方が僅かに違う。被写体が違ったりする。同じ被写体でも、写し方が違ったりする。
 最近はあまり絵にならないようなものを写し取りたいと思っているのだが、これがなかなか難しい。一番簡単なのは、資料的に、参考資料的に撮す方が、枚数は増やせる。要するに写真的に撮そうとするほど枚数は減るし、撮すものがなくなってくる。
 だから意外と背面液晶で、適当に写したものの方がよかったりする。
 

■■ 2016年07月11日 月曜日 午前7時15分
 
 今朝はまずまず晴れている。このあと雨が来そうなので、梅雨明けはまだ先だろう。7月の中頃、これが目安かもしれない。しかし、例年いつ頃が梅雨明けなのかは覚えていない。そんな日にちを記憶している人はいないだろう。例年ではなく、去年はいつ頃だったのかもそうだ。そんなものは日記でも見ないと分からないが、探す必要もないだろう。もの凄く大事なことではないからだ。しかし梅雨入り梅雨明けのデーターをしっかりと把握している人がいるはず。これは農家だろうか。梅雨明けよりも、梅雨入りが大事だろう。
 だが、梅雨について考えるのは、梅雨頃だ。それを過ぎると、当分梅雨のことなど考えない。
 昨夜は熱帯夜だが、それほど暑くはないと思い、窓だけ開けて寝ようとしたのだが、暑くて眠れない。それで扇風機を付ける。これが一番暑いときの状態だ。しかし、敷き布団にまだ毛布が敷いてある。これを抜けばもっと涼しくなるので、余裕がまだある。
 朝方まで扇風機が回っており、蒲団をかぶって寝ていた。寒いのだ。止めようとしたが、立ち上がらないといけないので、それでは目が覚める。それに凍るほど寒くはないので、そのまま寝た。タイマーはあるのだが、音がうるさい。しかし、時間が来れば止まるのだが、その瞬間、暑くて起きたりするかもしれない。だが寒く感じるのは朝方だ。体温も下がりきっているためだろうか。気温そのものはそれほど変わらないのに。
 梅雨が明ければさらに暑い日が続くだろう。
 昨日は夕方、ご飯が切れていたので、外食には丁度良いタイミングだった。外食でなくても適当なものを買ってきて食べる。しかし、似たようなものばかりなので、これも問題だ。
 スーパーの弁当を買いに行くことにしたのだが、その途中に弁当屋がある。ホカホカ弁当だ。最近買っていない。コンビニやスーパーにもあるからだ。
 ホカホカ弁当での弁当は幕の内だろう。昔はよく買いに行った。幕の内なのだから、晴れの弁当。芝居の幕間に食べる弁当だ。漫才や歌が終わり、第二部の芝居が始まるまでの間の休憩時間が長い。本来は歌舞伎だろうか。歌舞伎など一度か二度ほどしか見に行ったことはないが、弁当を食べた記憶がある。これは接待だった。どのタイミングで食べたのかは忘れた。みんな一斉に食べていた。この幕の内弁当、かなり高かったのではないかと思える。
 しかし、ほかほか弁当はやはり海苔弁だろう。これが安くて満足度が高い。メインは海苔だが、そんなものメインにならない。海苔の下に鰹節が敷いてあったりする。だから、これだけでも立派に海苔弁と名乗れる。実際のメインは白身魚のフライだ。何の魚なのかは分からないが、おそらくタラだろう。幕の内弁当は鮭が入る。鮭ありと鮭なしの幕の内がある。ないほうが安い。
 海苔弁、あとはきんぴらゴボウと桜漬け。そして、フライがもう一つ入っている。ちくわだ。
 流石にこの海苔弁。コンビニの海苔弁とは勝負にならない。ほかほかのためだけではない。匂いが違う。揚げたてなのだ。
 コンビニ弁当は食べきれないことがある。これはチンするためだろうか。それとできてから長い。そして、ずっと冷蔵庫に入っているようなものだ。
 久しぶりの海苔弁というか、ほかほか弁当だが、確かに美味しいというか、一気に食べて仕舞えた。何が違うのだろうか。
 弁当を買いに出たのは夕方。まだ少しだけ日はある。それでも暑い。少し自転車でウロウロしたあと最後に弁当屋に寄るコースを考えていたのだが、弁当屋の近くまで来たとき、しんどくなり、結局弁当屋往復だけに終わった。結構蒸し暑かったのだろう。
 そののり弁を食べたあとでの徒歩散歩でも、湿気が凄いのか、汗ばんだ。そのため、昨夜は寝苦しかった。
 昨日は選挙だったので、朝から人が外に出ている。投票に行くのだろう。これは朝の喫茶店からの戻り道で見た。だから朝一番に行っている人達だ。普段家の中から出てこないような年寄りが歩いている。それで、救急車がいつもより多く見かける。
 投票所が職員の寝坊で開くのが遅れた、というニュースは毎年恒例で。桜が咲いたとか、それに近い定番ものだ。
 今回は尼崎市。職員の寝坊は珍しくない。それに日本中の職員の数はものすごい数だ。寝坊して遅刻の人も多いだろう。そして投票所の数ももの凄く多い。職員が寝坊で遅刻は日常的にいくらでもある。
 しかし、それが尼崎となっている。偶然だろう。しかし、イメージが悪い。
 ゴジラが尼崎に上陸する漫画を書いたことがある。本土上陸だ。どんな自衛隊のどんな武器で攻撃しても無理だったが、尼崎に上陸後、ばったりと倒れた。空気が悪かったのだろう。
 
  
■■ 2016年07月10日 日曜日 午前7時42分
 
 今朝は晴れている。雨は去ったのだろうか。昨日の昼過ぎあたりから日差しが出ていたので、そんなものだろう。雨は長く続かなかったが、晴れても梅雨明けという感じではなさそうだ。
 夜間の気温は高くなく、25度程。そのため窓を閉めて寝ていた。ほぼ熱帯夜なのだが、それほど暑くはなかった。
 昨日は久しぶりに自転車散歩に出掛ける。といっても喫茶店の戻り道、ぶらりと走っただけ。喫茶店前に大きな通りがあり、歩道もあるので、そこを南下する。曇っているので丁度いい。陽射しがあると暑くなる。しかし下手をすると雨が降る。
 南下を続けると、尼崎へ出てしまう。塚口を過ぎたあたりで公園がある。結構大きい。樹木の多い森のような西洋式森林公園だろうか。植物園や、温室がある。温室は既に閉まっていた。しかし、暑いとき、温室など入るだろうか。外の方が暑かったりするので、温室の方が涼しかったりしそうだ。
 木が生えている場所は芝生もあり、広々としているのだが、人がいない。土曜日だ。子供が自転車で走っている程度。あとは関係者。つまり植物などの手入れをしている人達。人に見せるために作業をしているのだろうが、それより、その人達しかいないような公園だ。市街地の中のオアシスのように緑の多い場所なのだが、人がいない。たまに歩いている人がいる。散歩と言うより、健康のためだろうか。ここは幼稚園などの遠足にはいいのかもしれない。
 緑の公園に人が集わないのは、我が村の広場ではないためかもしれない。野に出てご飯を食べるというのは昔からあるが、それは我が山だろう。
 公園に人気がないわけではない。近所の公園は子供がいつも遊んでおり、暴れている。幼児も多い。これは児童公園で、各町内に一つはある。つまり近いところに行っているのだろう。それと、来ている人は町内の子だけ。これはそれなりに縄張りがあるというか、見知らぬ子供が入ってくるとすぐに分かるのだろうか。つまり、村単位でないと、安心して公園で遊べないのかもしれない。
 当然親も来ているが、普通の人は逆に入れない。公園のベンチで本を読む、とかは、無理だ。
 大きな公園ではそれができるが、遠いのだろう。広すぎるので、入り口からベンチまでの距離も遠い。
 さらにこの辺り、元々何もない場所で、古くから住んでいる人はいない。上坂部村と、塚口御坊の間ぐらいだ。ピッコロシアターの前だと言えば、すぐに分かるだろう。しかし、これだけの緑地がよく残っていたものだ。以前は何だったのかは分からない。樹木を見ると、樹齢は大したことはない。だから、植えたのだろう。
 その公園に立ち寄ったため、自転車散歩はそこで終わる。
 公園の中を川が流れている。一寸した渓谷だが、当然策がしてある。この川を開放すれば、子供は遊びに来るだろう。当然危険な場所なので、そんなことは不可能だ。しかし近所のドブ川に子供が大勢で入り込み、何やら獲物を掬っている。また、狭い川と言うよりドブなのだが、何処まで行けるか探検している。当然道端に自転車と靴がずらりと並んでいる。これは村だった場所の農水路だ。今は雨水か、上流からの水しか流れ込んでいないので、結構綺麗なのだ。見た感じ、何もいない。藻さえ生えていない。しかし、何かいるのだろう。
 昨日のお供のカメラはパナソニックの旅カメラ。ポケットに入り、ファインダーも付いているので、これがあれば何でも写せる。しかし、9000円で買ったペンタックスの一眼レフで撮した方が撮した気になる。やはり光学ファインダーの方が安定しているためだろうか。
 小さいカメラは持ち出しやすい。大きいカメラだと撮すときは快適だが、持ち出す気になれなかったりする。
 昨日は散歩に行く気がなかったので、カメラは旅カメラをポケットに入れているだけだったが、撮影目的で行く場合、最近は同じパナソニックのミラーレスを持ち出している。正月に買った望遠ズームを付けて。これはほぼ一眼レフなので、それなりに大きく重いが、安定している。これが光学ファインダー付きの一眼レフになると、ぐっと重くなる。だからハーフサイズのミラーレスなら重さはあまり気にならない程度で収まる。そのため、メインとして、最近使っている。ただ、旅カメラは700ミリある。ミラーレスの望遠は350ミリ。それが少し物足りないが、デジタルズームで700ミリになる。それを言い出すと、旅カメラは700ミリまであるので、1400ミリまで伸びる。切り替えなしで。この距離は電線に止まっている鳥をアップで撮れたりする。ただ、アップにしすぎると、何処にいる鳥なのかが分かりにくいが。
 ペンタックスのレンズは85ミリまで、これでは何ともならないが、どういうところにいる鳥なのかが分かる。ただ、鳥は豆粒ほどの大きさで、雀か鳩かの違いが分かる程度。
 

■■ 2016年07月09日 土曜日 午前7時15分
 
 今朝は涼しい。熱帯夜から解放され、22度ほど。25度を一気に切っている。いつもは26度ほどあった。そのため窓を閉めて寝る。扇風機を付けっぱなしで寝ていた前日とは偉い違いだ。これが梅雨時の気温なのかもしれない。梅雨時まだホームゴタツが必要だったように。
 問題はこの雨、雨の影響ではなく、これがやむと、おそらく梅雨明けだろう。そのあとの晴れた日がどんなものかだ。爽やかな秋空になるわけがない。この前までの暑さが、また来るにしても、どの程度かだ。
 噂ではかなり暑くなると言っている。梅雨を蹴散らすほどの暑い日があったのだから、もっと猛威を振るうかもしれない。暑さは台風ではないが、地形などの影響も大きい。数年前の酷暑を思い出す。あれを越えるほどの暑さになれば、これは厳しい。
 雨は朝にはやんでおり、寝起きの喫茶店まで、傘を差さなくてもよかったので、幸いだが、妙に涼しい。昨日も雨空で気温は上がらなかったが、蒸し暑かった。これは気温以上に暑く感じた。いっそ晴れて陽射しがあるほうが過ごしやすかったかもしれない。同じ暑さでも質が違う。
 夕食を食べたあと、徒歩散歩を軽くするのだが、以前に比べ、歩いている人が減ったような気がする。時間帯にもよるのだろうか。しかし、何年か前に見かけた老人だけは、まだいる。この人は時間が決まっており、その人とすれ違う地点で、時間が分かったりする。非常に安定している。他の散歩人もいたのだが、殆ど消えている。見覚えのない二人連れのオバサンや、夫婦とかを見かけるが、それらは新顔だ。メンバーが入れ替わったのかもしれないが、あの老人だけは古参としている。特に用事がないのだろう。だから、決まった時間に歩いている。それだけ歩き続けているのだから、早くなるはずだが、歩みはゆっくりだ。スピードは問題ではないのだろう。前方の一箇所を見て、黙々と歩いている。
 先日買った鞄は機能的には満足を得ているが、少し手間だ。手提げのときはいいが、肩掛けにしたときは、手提げの二本の紐をパチンと止めないといけない。止めなくてもいいのだが、肩に掛けたとき、一本が外れやすい。それを留めるボタンや部品もよくできているが、何度もパンチパチンとやっていると、緩くなるかもしれない。また、メインポケットにも留め金のようなテープ状のものがある。これを閉めているとファスナーが開いていても落ちにくい。
 ファスナーを開けるには、手提げ側のパッチンを外さないと大きい物は取り出せない。それが少し手間だが、それなりの配慮ができていると言うことだ。この鞄には特に真はないので、くにゃくにゃになりやすのだが、型崩れはしない。中にクッションが入っていたりするので、それが反発するのだろうか。ハードタイプの箱のようにフレームがあるビジネスバッグではないが、裏地の分厚さが効いているのかもしれない。表の生地はナイロンだ。ツルッとしていて柔らかい。特に防水の表示はない。ただ、内部まで染みこまないような裏地なので、何とかなるのだろう。
 また、底板がある。これが外れにくくなっているのか、気付かない。そこに来ないで、横に来る底板がある。よく見ると、置いているだけだったりするが、この鞄はうまく縫い合わせているのか、何とか止まっている。これで鞄がくにゃっとならないのかもしれない。
 後で考えると、同じタイプの型違いがいくつもある中で、一番小さいのを買ったことになる。自転車の前籠にはみ出さないで入る。だから横幅は大してないが、縦が少しある。正方形に近いが、井戸のように深くはない。
 これでノートパソコンと一眼系カメラが両方入る。ノート用仕切りのおかげだ。
 
 夏場、おかずに苦労する。冬は鍋物が簡単で、何でもかんでも煮込んでおれば、しばらくはその続きを食べられる。しかし梅雨に入ってからは腐りやすいので、それが苦しくなるし、また夏に鍋物は流石に暑苦しい。
 この時期ヒットするのは豆腐だが、豆腐は毎朝味噌汁に入れるので、冷や奴でまた食べるというのは、今一つだ。豆腐ばかりが続く。真夏の湯豆腐も決して悪くはない。しかし豆腐一丁は食べきれないだろう。ご飯抜きで、湯豆腐だけなら食べきれるが。
 この季節になると、卵豆腐がよく出ている。冬場は茶碗蒸しだ。
 卵豆腐は小さなパックに入っている。パックのまま食べると崩れる。箸では無理だ。横へ回り込めないので、そっと挟めない。スプーンが必要だ。まあ、プリンのようなものだろう。
 スーパーの惣菜売り場は、いつも同じようなもので、野菜の煮物などは結構高い。それを見ていると、自分で煮た方が量も多い。
 結構おかずになるのはフジッコだ。塩昆布ではなく、このメーカーが作っている豆類だ。大豆と昆布とか、黒豆とか、大豆とひじきとかだ。いずれも180円ほど。高いのはゴボウの煮付け。これは一寸ずつ食べれば、長持ちする。ゴボウを一口食べたいと言うときがいい。コンニャクもそうだ。二丁で百円のコンニャクを買っても、余るだけ。ほんの少しだけ食べたいだけのとき、コンニャクは困る。だから、惣菜もの、デキモノが重宝するのだが、やはり高い。
 梅干しやらっきょや漬け物は、お茶漬けのときは重宝する。とりあえずご飯だけは食べていることになる。おかずではなく。パンでもいいのだが、やはりご飯の方が胸焼けしないし、腹持ちもいい。また、タラコも良い。潰れタラコなら安い。
 

 


■■ 2016年07月08日 金曜日 午前7時38分
 
 今朝は珍しく雨。台風の影響かどうかは分からない。結構遠い。
 しかし、まだ梅雨だというのを忘れている。普通に考えれば梅雨の雨だ。幸い寝起きに行く喫茶店までの道では降っていなかった。昨日は鉄道忘れ物市をやっていると思い、傘を見ていたところだ。しかし、よく見ると同じタイプの傘がずらりと並んでおり、いずれも婦人物。これは日傘だろう。忘れ物市ではなかったが、結構安かった。しかし、日傘なので買わないと言うより、取っ手が細い。婦人用のためだろう。これが細いと強い風が吹いたとき、手が痛くなる。
 昨夜は寝苦しく、そのため扇風機を付けたまま寝た。かなり遠くに置いて首振りだ。タイマーは付いているが、接触が悪く、凄い音がする。ネジが戻るときの音だ。そのため、途中で寒くなってきてもすぐには切れない。手が届かないため。つまり一度起ち上がらないといけない。しかし、夜中トイレに立つことがあるので、そのとき消せばいい。
 昨夜は熱帯夜で寝苦しく、掛け布団などはいらないのだが、朝になると、掛けている。気温は寝る前と変わらなかったりするのだが。
 しかし、この雨で少し涼しくなるようだ。30度越えの猛暑日も、ここで途切れるだろう。夏なので暑いのは仕方がないが、中休みがある。また、それほど暑くない日も入っているものだ。ずっと暑い日が続くわけではない。
 暑いときの野菜は漬け物がいい。白菜の漬け物が安い。白菜を買い、それを煮てもいいのだが、この時期、それは厳しい。鍋物のイメージがあるし、白菜だけを煮ることは先ずないので、他のものを入れ、結局鍋物になってしまう。欲しいのは野菜だけだったりしても。だから白菜の漬け物がこの季節いい。まあ、サラダのようなものだ。
 
 昨日は鞄を買う。ノートパソコンを入れる仕切りのあるビジネスタイプをやっと見付けた。
 いつも行くスーパーの衣料品売り場に鞄専門コーナーができていたが高級品ばかりなので、何ともならなかった。その横にテナントとして入っている鞄屋もあるが、ここも高い。鞄を探しているとき、鞄屋が集まっているところの方が買いやすかったりする。見学しやすいからだ。そのためか、スーパー内にできた鞄コーナー、テナントの鞄屋のすぐ近くにわざわざ設けたのだろうか。スーパーの二階なので、非常に広い。百貨店のようなものだ。端が見えないほど。だから、奥にあってもいい。わざわざ鞄屋の近くに作ったのは、そのためかもしれない。
 それで最初は高いものばかり飾りのように並べていたが、吊り物を出した。それが結構安く、しかもノートパソコンの仕切りがあるタイプだった。
 その中で一番安いタイプを買う。仕切りさえあればいいのだ。その仕切りにも少しスポンジが入っているタイプで、しかも蓋が有り、マジックテープで止まる。これがないと、仕切りがあってもパソコンがお辞儀をする。マジックテープ程度では、鞄を降ると、剥がれたりするが。
 この蓋のおかげで、仕切りの中に物が入ってしまうことがなくなる。間違ってそこに詰め込もうとするためだ。わざわざ狭い場所に。
 デザインは手提げがメインで、正方形に近いが縦長ではない。手提げはそのまま肩掛けにもなるが、紐が短いので、真冬着込んだとき、通らないかもしれない。
 鞄の背にポケットがあり、よくある週刊誌入れのようなものだが、開けるとリュックの紐がある。背負い紐がポケットの中に仕込まれており、縫い込まれている。だから、背負いもできるが、リュックなので、調整紐が垂れるので、手提げとの両立は難しい。紐が地面を掃除するだろう。
 この背負い紐、一本だけでも使える。だから、片掛でも使えそうだが、それなら、普通の肩掛けでいいだろう。リュックはいらないかもしれない。たまにビジネスバッグを背負っている人がいる。両手がフリーになるので、いいのかもしれない。
 鞄の底はそれほど広くなく、あまり物は入らないが、カメラ程度なら十分だ。薄型の鞄ではないが、あまり詰め込めない。ビジネスバッグと言うより、買い物鞄のような雰囲気だ。しかし、買い物バッグには仕切りはない。
 この衣料品売り場の鞄、今までは鞄だけのコーナーもあったが、小さな棚とか、衣料品の中に混ざって売られていた。カジュアルタイプは豊富だが、ビジネス向けがない。スーツ売り場はあるのだが、そこにはない。だから、遊びの鞄ではなく、仕事用のビジネスバッグがなかった。それがやっとできたのだろう。
 その横の本物の鞄屋には、この仕切りのある鞄はなかった。また、スーパー横で鞄の屋台が出る。1200円ほどのビジネスバッグがずらりと並ぶ。それらの鞄には仕切りはあるが、ぺらぺらの仕切りで、ただの幕だ。
 鞄の底近くに袋がある。これは水筒入れだろうか。前ポケットにも細長いポケットがあり、これは折りたたみ傘入れだろうか。500ミリペットボトルが入りそうだが、少し細いので、傘だろう。その横のポケットは大きい目だが、中にケータイ袋がある。ただこれらのポケットにはマチがないので、大して入らないだろう。
 
 
■■ 2016年 7月7日(木) 午前7時15分
 
 今朝も晴れており、暑いが、意外と湿気がない。これは梅雨は明けている。台風も来ているようだが、その第一号の発生が結構遅いらしい。記録を取り出してから二番目とか。すると、秋の終わり頃まで台風がずれてくる可能性も高いが、台風は秋が相場だ。そういうことを言い出したのは畿内の人だろう。または江戸の。だから、台風が発生していても、気づかない。それにちょっと風が強く雨が降っていても、台風だと認識していたかどうかも分からない。
 子供の頃は夏に台風が来ると、これは早いと思っていた。夏休みに台風。これはシーンとしては少し難しい。雷雨ならいいのだが。夏に台風が来る学園ものの映画もあったが。
 今日も35度近くまで気温が上がると予測されていたが、昨日は少しだった。30度少しのためだろうか。あまり厳しくない。また猛暑でも通りに人はいて、歩いている。小学生なども普通の顔で歩いている。学校帰りだ。そして遊びながら帰っている。あまり暑さは気にならないのだろうか。
 そういえば小学生の頃、炎天下セミ採りに行った。低学年だ。近所のお兄さんの後をついて行ったのだが、帽子もかぶらず、平気で炎天下にいたことを記憶している。それほど暑くなかったのか、それとも子供なので、分からなかったのか、それもよく分からない。また夏休み前の下校中も、炎天下の日はいくらでもあったはずなのだが、暑かったという記憶がない。夏休みにプールへ行くときも炎天下だったが、これも暑い思いをした記憶がない。暑いと思うようになったのはもう少し大きくなってからだろう。
 しかし、子供の頃、暑さに強いのではなく、暑さに関しての認識が欠けていたのだろう。冬よりも暑いとは感じていたが、その程度だ。
 昨日は暑いさなか、いつもの中古カメラ定期見学に行く。出物はなく、売れたものもあるが、安いタイプばかりだ。珍しいのは現場監督などの防水カメラだ。フィルムカメラだが、まだ売られていた。当然中古で。とりあえず数千で買えるので、フィルム代は会社持ちなら、これを必要としている人もいるだろう。
 富士の最高級コンパクトカメラが消えていた。ライカそっくりのカメラだ。八万円していたが、消えている。かなり長く飾ってあったが。35ミリ単焦点で、これは極めた人でないと買わない。または写真にはあまり興味はないが、旅先などでたまに写す。そのときのイメージが、このカメラになる人は希だろうが、カメラっぽい形のカメラなので、これは高級腕時計と同じ趣旨かもしれない。いい持ち物を持っているという感じで、こういうカメラを首からぶら下げて観光地を歩きたいのだろうか。
 手首に重そうな時計、首にライカ。これがいいのだろう。しかし中古でも8万円は出せない。6万円なら考えてもいいが。
 1インチタイプで25から600までのキャノンのコンパクトカメラはまだ売れていない。外付けファインダー付きだ。こちらの方がお得だし、実用性は高いが、カメラとしての趣に欠けるのだろう。結構大きく重い。
 足が速いのはネオ一眼。2万前後。これがあれば一眼レフなど本当はいらないのだが、それを言ってしまうと、おしまいだ。
コニカミノルタ時代の最終機が13000円。18000円でダブルズーム付きで売られていたのだが、望遠レンズは外したらしい。別売りになっていた。誰も手を出さないのは、カードタイプが古いため、手に入らない。売っていないわけではないが、非常に高い。
 十年ほど前のカメラなので、バッテリーの状態も分からない。しかし、元箱も付いているので、大事にしていたのだろうか。使っていなければ幸いだが、このバッテリー、もう売られていないはずなので、互換ものを探すところから始めないといけない。コニカミノルタのカメラは、その後トキナーが引き受けたのだろうか。メンテナンスだが。ソニーは知らん顔をしている。
 つまり、カメラは買ってから10年ほどは修理用の部費などがないといけない。その期間はよく分からないが、古すぎると作らないといけない、または部品取りで残していたりする修理屋もある。どんなカメラでも修理しますという店が近所の民家にある。友人がしばらく勤めていた。実際にはそんなことでは商売にならないので、メインがある。メーカーの下請けなのだ。友人はニコンの一機種を任せられていたようだ。電機部品の多いタイプで、交換すればいいのだ。難しいのは機械式で、歯車などが使われているタイプだろう。これは時計の修理のようなものだが、それよりも大きい。
 昔のNECのパソコンを使っている工場などがある。パソコンを導入したとき、大金をはたいたはず。それでシステムを組んだのだが、それを今のパソコンに替えるお金がない。部品などもうないのだが、壊れているパソコンから部品を抜き出すのだろうか。まあ、パソコンは十年以上使えるのだが、今のソフトが走らなくなったり、対応しなくなる。周辺機材などは全く使えなかったりする。キーボードもUSB接続以前のタイプだと、なんともならない。以前なら間にかますものが入っていたが、今はない。
 
 昨日は夏ばて防止に、鰻丼を食べた。700円少し。すき屋だ。これは、ウナギの蒲焼きを買った方が安いのかどうかは確認していない。一匹まるまる食べられるが1000円を超えているかもしれない。すき屋なので、ウナギ牛丼ぶりもある。100円高い。
 それで鰻丼だけ注文し、食べていたのだが、味噌汁も漬け物もないと、非常に殺伐としている。まるで犬のえさだ。汁がそれを連想させる。それと容器。
 昔は犬も猫もご飯を食べていた。えさはご飯がメインだ。猫は味噌汁の残りをぶっかけてやればそれでよかった。どちらも鰹節さえ入れておけば、全部食べた。さすがに白い冷やご飯だけではしんどそうで、食が進まないようだが。そのために犬や猫用に何かを買うようなことはなかったようだ。
 
 
 
■■ 2016年07月06日 水曜日 午前7時15分
 
 今朝も晴れており、そして暑い。梅雨は何処かへいったのだろうか。上にいったのかもしれない。大阪は梅雨前線の下にあったりする。これは梅雨明けではないか。
 一週間予報でも傘マークがない。晴れと曇りのみ。雨がまったく降らないわけではないが、それは夏の俄雨に近かったりする。急にゴロゴロ言いだし、ざっと降るタイプだ。これは梅雨らしくない。やはり来る日も来る日も雨がしとしと降っている状態が梅雨、雨季だろう。そのずっと続いていた雨がやむと梅雨明けだ。だから降っていないといけない。そうすれば梅雨明け宣言も出しやすい。こう晴れている状態が続くと、梅雨明けしましたと言われても、何ともない。空模様は昨日と同じだったりする。では何が明けたのかだ。
 最後に雨が降ったのはいつだろうか。その雨はしつこく降っていた。また傘がいると思いながら、出掛けていた。あそこまでが梅雨で、その後、雨は降らないが、かわりにもの凄く暑くなってきた。この状態、梅雨明けの状態と同じではないか。
 今朝も暑いので、朝から熱だれしたような感じで、自転車で寝起きの喫茶店へ向かう。ここは少し坂になっている。行きは感じないが、帰りは感じる。ペダルが軽い。だから朝から坂道を登っている感じだが、見た目分からない。坂だとは気付かない。坂があるのなら丘でもありそうだが、それはない。少し隆起している場所があるためだろう。
 昨日も暑く、猛暑日。三日ほど続いているだろうか。四日かもしれない。猛暑日はそれほど続かないはずで、毎日この暑さが続くわけではない。それに暑さに慣れてくる。
 暑さのピークは7月。だから今だ。この時期、うんと暑くても不思議ではない。当たり前の話で、いつもの夏が行く感じだ。
 こういう猛暑、炎天下、持ち出すカメラは意外とペンタックスの一眼レフだったりする。尼崎の中古屋で9千円で買っている。この光学ファインダーで覗くと、涼しい。標準ズーム付きで9000円なのだが、それなりに重い。しかし、取り出し、構えているときの安定感が違うし、シャッターを押したときの充実感が違う。撮した実感がある。しかし、撮影範囲は28ミリから85ミリと、ズーム比は大人しい。それなのに大層なカメラだ。
 ネオ一眼や、電子ファインダー付きコンパクトカメラとの違いは、同じファインダーでも、安定感が違うのだろうか。電子ファインダーで、望遠で写すと、二枚目を撮すとき、別のところを覗いていたりする。ずれているのだ。実際に映ったものをファインダーで覗いているのだが、撮し終えたとき、タイムラグがある。撮したあと、確認の絵をしばらく表示させるモードを殺していても、絵が動いていたりする。これは手ぶれ補正の関係もあるのだろう。特に望遠にするほど、これが出る。だから二枚目を撮すとき、被写体を探さないといけない。これは手ぶれ補正がそこまで効いていたということかもしれないが。
 このペンタックスの少し古いタイプの一眼レフ、写りがどうのと言うより、撮しごたえがある。そのためか、平凡な風景でも、撮してみたくなる。
 このペンタックスの一眼レフから数世代先に出ていた機種がアマゾン特選品で売られていた。S1だ。形が少し違い、斬新なデザインだが、すぐにやめたのか、この機種だけで終わっている。ペンタックスはよく海外のデザイナーを使って、そんなことをするが、S2になると、いつものペンタックスに戻っている。平凡な形に。
 このアマゾン特選カメラがダブルズーム付きで3万円代。安く感じるのは、ダブルズームの中身だ。キットでは望遠ズームは400ミリだが、300ミリを付けている。だから安いのだろう。この機種でのキットでは、その組み合わせはなかったように思われる。300ミリではなく、400ミリが特徴だった。しかし、倍ほどレンズが重くなったりする。
 このS1が安くなっているのは、持ちにくいためかもしれない。グリップが浅い。デザインに凝りすぎたためだろうか。操作性が今一つかもしれない。これの展示品を触ったことがあるが、レンズのズームがスカスカで、さらに持った感じ、手に馴染まなかった。しかし、デザインは良い。
 しかし、9000円で買った標準ズーム付きで十分だろう。乾電池が怖いほど持つ。あれからまだ一度も交換していない。普通に使うファミリーカメラなら、半年は持つとされている。撮影頻度はそんなものかもしれない。
 それよりも、ニコンの3300辺りが軽くて安い。レンズも軽く沈胴式だ。しかし、あまり長さは短くならない。また、撮すとき、いちいちボタンを押してレンズを出す動作も面倒なので、沈胴にさせないで、持ち歩くだろう。それよりもレンズが軽い。殆どハーフサイズのミラーレス並だ。このキットレンズとの組み合わせでは、光学ファインダー付きのネオ一眼という雰囲気がする。軽くてスカスカのためだ。
 このカメラ、いつもの上新で展示されているので、毎回触っている。特に望遠でピントがくっときたときの鮮明さは電子ファインダーとは少し違う生々しさだ。レンズで見ているという感じだろうか。こういうのは撮影を楽しむカメラで、被写体をじっくりと味わえる。
 一眼レフは28ミリから85ミリまでの標準ズームキットから動かない方がよい。ダブルズームキットを買うと、レンズ交換など撮影中しないだろうから、一本ですませられる高倍率標準ズームが欲しくなる。すると重くて高いものになるし、最初に買った二本のレンズが無駄になる。
 画質に関しては、最近は中判カメラタイプが出始めているので、それらが普及し出すと、今の一眼レフデジカメの画質など吹っ飛んでしまう。まだまだ先の話だが、35ミリフルサイズデジカメなど、可愛いものになるだろう。今は高嶺の花だが、あまり変わらなかったりする。受光素子の大きさ比べでは。
 ところがハッセルが中判デジカメを出し、富士も中判を出す。富士も復古調で、蛇腹式だ。昔富士の64を買ったことがあるが、デザインがそっくり。蛇腹式なので、ポケットに入ったりする。平らになるためだ。
 それまで普通の35ミリで撮しており、中判もマミヤなどのを使っていたが、富士の64で撮すと、全て吹っ飛ぶほどの絵ができる。中判と言うだけではなく、レンズが良かったのだろう。だから、同じことが今の一眼レフデジカメにも言えたりする。画質云々を言い出せば、中判には叶わないのだ。
 ペンタックスは67の蝦蟇のような中判カメラで有名だが、当然中判のデジカメも出している。
 問題は富士だ。これが発売され、それなりに売れると、他のメーカーもまた真似をする。もうフルサイズ一眼レフなど霞んでしまうほどの爆弾だ。
 しかし、昔は中判を使っていた。それしかなかったわけではないが、普通の家族が中判で撮していたのだ。子供もフジペットを使っていた。中判と言っても二眼レフで、これは結構安かった。最後までヤシカは、それを出していたが。
 昔のガロ系の人達はどんなカメラを使っていたのか、興味があるところだが、最近分かったところでは、つげ義春がニコマートで撮していたという記事がある。しかし、つげ義春はかなりのカメラマニアで、かなりの数を持っているはずだ。ニコマートはニコンFの普及機だ。ボディーはニコンFのように頑丈で、鉄の塊だ。これは中古でゴロゴロ転がっていた時代があった。普及機だ。赤瀬川源平や、その周辺の人達はニコンFEあたりだろうか。ニコンF2、F3あたりが出たときのオート機で、普及機だ。つまり、最高級気は使っていなかったように思われる。これは写真家の人達も近辺にいるので、その遠慮ではないだろうが。
 また、中古カメラではなく、中古レンズ愛好家も結構いる。古いレンズだが、味わいがあるという話。
 一眼レフデジカメも、結構出てから長いので、中古で安くなっており、今なら古くて重いレンズが安かったりする。デジカメ時代に出たレンズだ。その初期に。
 

■■ 2016年7月5日(火)午前7時33分
 
 今朝も晴れている。これはもう梅雨が明けたのだろう。一週間予報でも、傘マークはない。これは梅雨時の一週間ではない。梅雨よりも猛暑だ。雨よりも、この暑さだ。傘がいるかなあ、という話ではなく、暑さ対策の話になる。雨対策ではない。
 今朝の晴れ具合は爽やかで、梅雨時のじめっとしたものとは違う。天気予報も雨に対する注意よりも、暑さに対する注意になっている。
猛暑は三日ほどで終わることが多いのだが、今年はどうだろう。夏の初っぱな、がつんと暑い日が三日ほど続いて、脅すように暑い。これでまだ夏の序の口で、これからはさらに暑いぞと。
 しかし夏は6月7月8月。そのど真ん中が7月。そのため、今、暑くても不思議ではい。
 さすがに、日差しが強いので、ネルシャツから薄い目のカッターシャツにする。パーカー類はだぶっとしているタイプがいい。ぴたっとしていると暑くて仕方がない。ズボンもネルズボンから普通の綿の薄いジーンズ系にする。これはゴムパンだ。紐パンとの違いは、紐を引っ張らなくてもいい。この紐、垂れたりするし、引っ張りすぎて、片方がトンネルの中に入ってしまい、一生出てこないことがある。そのまま引っ張ると、紐そのものが抜けてしまう。そして紐パンにならず、そこで終わる。ゴムパンはその心配はないが、きついと腹が苦しい。ゴムパンの方が前にファスナーがある。紐パンにはなかったりする。あった場合、必ずファスナーに挟んでしまうのは分かりきっている。そうならないようにファスナーがないのではないだろうが。
 靴下も薄い目、短い目のにする。これで少し凌ぎやすくなる。
 昨日は夕方前に行くモスが臨時休業。珍しいというより、そんなことがある。店長が暑さで倒れたのかもしれない。バイトもいるので、なんとかなるはずなのだが、都合が付かなかったのだろうか。しかし、人がいないので、休む、というのはあまり考えられない。理由はもっと違うことだろう。それは想像では分からない。大きなファストフード店だが、このハンバーガー屋は結局は個人営業に近かったりする。毎朝行っていたモスも7時開店が8時になった。バイトの都合が付かないということだが、半年ほどかかるらしい。だから、バイトではなく、オーナーで店長の都合だろう。7時に開けるのは辛いと。
 コンビニもそうだが、店長が辛そうだ。そのため、全員パイとではなく、一人か二人は社員として雇っている。
 それよりもいい年をしたおじさんがバイトで働いている。これだけで食べていけるのだろうか。
 人生には無駄はない。どんな状態でも、それが肥やしになる。というが、これは嘘だ。また、ある辛い体験をした場合、それがプラスになることがなく、マイナスになり、ずっと後遺症のように残ったりする。そして、そのことは黙して語らなかったりする。
 
 先日買ったマウス製のタブレットノート、小さくて軽いのだが、いいことばかりではない。削除キーがないとやはり不便だ。それと取り消しキー。ほとんどのキーボードなら左上の角にあるはず。確かにタイプしているだけなら、問題はないが修正するとき、結構手間取る。いつもの位置にそのキーがないためだろう。それで、ワープロ側でカスタマイズし、短縮キーを作ったのだが、これはすぐに忘れてしまう。
 暑いので、細かい設定をする根気がなく、初期状態で使っている。とりあえずはテキスト打ちができれば、それでいいので。
 問題は重さだ。700グラムを切っている方が好ましい。非常に鞄が楽になる。しかし小さいのでキーボードのキーが減る。大きさではなく、重さ。
 つまり700グラムを切っていれば、何でもよいということだ。大きさはそれほど問題ではない。すると、ソニー辺りに薄くて軽いのがあったような気がする。びっくりするような値段だが。マイクロソフト製のノートパソコンもあるが、しっかりと蝶番のあるモニターの方がいい。ソニーやNEC製で、11インチあたりで、700グラムあたりのがあったように記憶している。次回はそう言うのを買えばいいのだが、これは高そうだ。二万円台ではない。
 モニターが小さいといいこともある。喫茶店のテーブルに置いたとき、見晴らしがいい。前がよく見えるようになった。
 また簡単にタブレットとして使えるので、このときは軽快だろう。キーボードはソフトキーになるが、ちょっとした修正なら、これでいけるかもしれない。ただ、ソフトキーよりも、物理キーの方が早いのは言うまでもなく、確実だ。
 タブレットモードのときは、このノートの液晶がちょうどいい大きさかもしれない。大きすぎない。
 まあ、テキスト打ちだけなら、タブレットモードは必要ではないし、普段からタブレット的な使い方はしていない。だからアンドロイドタブレットを買ったときも、使い道がないのだ。スマホと同じアプリが走るのだが、使いようがない。エディターアプリだけで十分だった。
 メインノートもあるので、使い分けすればいい。カメラと同じだ。
 

■■ 2016年7月4日(月)午前7時13分
 
 今朝も暑い。体温を超える気温が出ていた地域もあるようだ。夜も暑く、いわゆる熱帯夜。これは夜の最低気温が25度以上。だから、瞬間的に24度になれば、熱帯夜ではない。超熱帯夜は30度から。ただし、それらの記録はないようだ。夜という定義が曖昧で、何時から何時までという決まりが作りにくい。おそらく夜とは夕方からだろう。これが曖昧。夕方でも外は明るい。日が沈んでからでも、まだ明るい。これは夜とはいえない。
 また、日の入り、日の出は毎日違う。少しずれている。さらに地方によって違う。そうなると定義がしにくくなる。
 漠然と使っている熱帯夜、寝苦しいとかが問題になるので、やはり寝ているときだろうか。または寝る前の夜。そうなるとかなり遅い目の夜だが、夕方過ぎから布団に入っている人もいる。つまり、寝入る時間はばらばらだろう。
 寝る前、暑くて寝付けない。ここで熱帯夜を感じる。寝ているときは意識がないので、熱帯夜もくそもないが、暑くて起きることがあるかもしれないが、寝てしまうと体温は下がるようなので、寒くて起きることはあっても、暑くて起きることは少ないようだ。体調が悪いとき、暑く感じて起きることもあるが。
 夜の定義が曖昧で、しかも熱帯夜記録は作っていないようなのに、どうして熱帯夜だというのだろうか。これは、その日の最低気温が25度をくだらなかった場合、自動的に熱帯夜が成立する。なぜなら、一日の中で一番気温が低い時間帯は夜のためだ。本当は朝方だが。例外として、昼間瞬間的に24度になった場合でも、これは熱帯夜だ。昼間のことをいっていない。
 だから一日の全気温が25度以上なら自動的に熱帯夜が成立する。そしてその記録は、こちらが生まれた頃からネット上にあるようだ。それでも熱帯夜の回数が必要なことは希だろう。平均気温とか、最低最高気温は、記録として大事なのは、観測史上何番目の暑さとか、寒さとかをいうときだ。ただ、ここでは観測した場所による。地方限定になる。気温や天気だけは地方がメインになる。風土が違うためだろう。全国一律ではないためだ。
 また熱帯夜という言葉が使われ出したのは、こちらが子供の頃からかもしれない。
 昨日の日曜日は暑かったが、日曜なので、出かけている人も多かったはず。そこでバテて、月曜の今日、寝込んでいる人がいるかもしれない。一人で出かける場合、暑すぎると、出かけなかったりするが、団体行事で、日が決まっていれば、雨天中止以外では出かけることになる。実は雨の方がよかったりする。つまり、天気が悪い方が、楽だったりする。これが海水浴なら、晴れていてもいい。海は温泉や風呂のような湯ではないので、水風呂のように、ひんやりとしているためだ。
 晴れていて困るのは歩行だ。山歩きはそれなりに日陰はあるが、市街地での徒歩や自転車移動は厳しいものがある。
 
 8.9インチのマウスのノートに早速一太郎をインストールする。本当はATOKだけでよかったのだが、ついでなので、一太郎も入れた。別個に入れることもできる。一太郎だけとか、ATOKだけとかも。マイクロソフトオフィスのカードが入っていたが、まだ確認していない。月額いくらかの、あれだろう。それの一年パスポートだ。
 さて、実際に鞄に入れると、かなり軽くなる。これが最大の目的だったりする。つまり使っていないときが目的。そう言うのは目的とはいわないのだが。
 一太郎を画面の小さなタブレットでは使いにくいのではないかと思ったのだが、10インチとあまり変わらない。少し文字が小さくなる程度。これは拡大しなくてもいい。また大きい目のフォントを使うと、部屋のパソコンでは巨大な文字になり、逆に読みにくい。
 次の関心はキータッチ。買ってすぐに部屋で少しだけ試したのだが、これは膝の上に置いてだ。実際に使うのは喫茶店のテーブル。これでモニターの傾き加減などが分かる。固定のため、角度は変えられない。まずまず顔と平行になる。つまり、モニターをやや上からとか、やや下からではなく、ちょうどいい感じだ。このタイプの端末は何台が使っているのだが、慣れると何ともなくなる。ただ後ろに光源があったりすると、見えにくいので、このときは角度が変えられる方が好ましい。まあ、体を少し変えて高さを調整すればいい。
 キーはカチカチとうるさい。またパチンとはじくことがある。角を押してしまったとき、空振りのような。これで指の骨折はないものの、あまりいいものではない。安っぽく紙のような質感のキーだ。ただ、ストロークがしっかりとしており、かちっと決まる。確実に押し切れるので、高速タイプも可能だ。
 ベタ打ちのタイプでは問題はないが、削除キーが他のキーを押しながら、また取り消しキーになると、二つもキーを押しながら、また押すということをしないといけない。バックスペースだけはなんとか一発キーである。これはワープロ側のカスタマイズで、短縮キーで削除できるようにした方がいいかもしれない。幸いコントロールキーが左下角にあり、これは使いやすい。
 本来はタブレットで、キーボードではなく、指タッチでやってしまう端末なので、そんなものだろう。つまりワープロ専用機のようなテキスト打ちに徹した端末ではない。もっともワープロ専用機などは売っていないが。
 テキストのベタ打ちとは、修正しないで打ち込む。そう言うのは後でやる。その修正が、キーボードが少ないので、二つ叩きとなったりするので、あまり軽快ではないが、それよりもテキストが先で、修正は実は誰でもできるのだ。
 ただ、誤入力や誤変換で、原型がなんだったかがわからなくなることもある。これは悔しい話だが、別の言い方に変えたり、またその部分をカットしている。これは連文節変換ではなく、自動変換なので、変換キーは一切押さないためだ。変換は適当なタイミングで行われ、また適当なところで勝手に確定される。それを見ながらタイプできるのだが、見ていると、次の言葉が見えなくなる。次のフレーズが頭の中にあるのだが、それを忘れてしまうので、振り返って、変換状態を見ていない。
 鞄が軽くなった分、多少打ちにくく、多少修正などがしにくくなったが、それは仕方がない。
 いずれにしても、この軽さ、小ささでウインドウズが走り、普通にタイプできるキーボードが付いたタイプで、これ以上安いのはないだろう。かなり前に大特価で買ったノートパソコンで29000円というのがあったが、かなり遅かった。10インチなのでやはり1キロを完全に超えていた。だからこの軽さで、この値段。そのため、選択肢はこの機種だけということだろう。
 このノートだけを鞄に入れて出かけると、空の鞄かと思うほど軽い。鞄も1キロほどあるだろう。ノートはそれを切っている。鞄より軽いノートだ。
 1キロ少しのノート、500グラム台のカメラ。これが限界ではないものの、これを超えると重く感じる。ノートが400グラムほど軽くなったので、500グラムではなく、900グラムのカメラを入れても大丈夫になる。
 いかにノートパソコンが重かったかだ。ただし、ノートパソコンだけを鞄に入れている場合はその限りではない。カメラもポケットに入るタイプなら、鞄は関係がなくなる。だから一眼レフ系や、ネオ一眼の重いタイプなどと一緒にノートも持ち出しやすくなる。
 撮影に行くとき、ノートパソコンは必要ではないし、鞄は自転車に乗せているので、重さはあまり関係はないのだが、階段の上り下りや、ちょっとした移動のとき、重荷だ。ノートパソコンを常に持ち歩いているのは喫茶店に入るためだ。撮影に行くときも、喫茶店に入る。このとき使う。これは日常業務だ。また、撮影も、実際にはそれだけで出かけることはなく、日常内での話なので、撮影だけに出かけることはほとんどない。
 このマウスのノート、重い目のカメラが鞄に入っている時用だろうか。だから、以前のノートと交互に使う感じだ。しかし、サブのノートの方が活躍したりしそうだが。
 メモリの2ギガと4ギガの違いが多少出るが、気になるほどではない。
 

■■ 2016年07月03日 日曜日 午前7時13分
 
 今朝も暑い。だから、今日も暑いのだろう。朝は曇っているが、これで陽射しがあればさらに暑い朝になり、寝起きの喫茶店までの道も暑苦しかったに違いない。
 昨日も暑く、32度などが平気で出る頃になっている。30度越えすると暑い。夜になっても気温は下がらない。当山窓を開けたまま寝る。カーテンも閉めていない。このカーテンは寒くなったとき、あるとないとでは違う。しかし、その恐れがないので、全開で寝る。また掛け布団はいらない。これは夏仕様だ。
 しかし、途中でひんやりとしてきたので、掛け布団を使う。これはもう梅雨が明けたも同然だろう。一週間予報を見ると、雲マークがずらりと並んでいたのだが、太陽マークも見える。梅雨時なら全部傘でもおかしくない。しかし傘がない。だが太陽マークだけもない。曇りのち晴れとか、晴れ時々曇りとか、曇りのち晴れとかだろう。
 晴れ時々曇りと、曇り時々晴れは、どう違うのか、半々はないのか。時々ではなく。だから、時々を省いて、晴れたり曇ったりでいい。しかしこの「たり」というのは使いにくいのだろう。
 この暑さが一時的で、すぐにまた雨の続く梅雨空に戻るとは、あまり考えにくいが、天気だけは分からない。一週間予報も毎日予報を変えてくる。
 
 昨日は珍しくエディオンでノートパソコンを買う。こういうのはリアル店よりネットで買うほうが安い。ただ、数千円の違いなら、宅配便を待つ必要がないので、そちらの方が楽だ。
 そのパソコンは25000円。消費税を入れれば29000円。マウスコンピュータ製で、8.9インチ。ほぼ9インチだ。ウインドウズタブレットが2万円代になっているので、それにキーボーが付いたタイプと言うことだろう。この値段、広告の品となっており、しかも今月の三日まで。その値段はマウスの直販の価格と変わらない。だからこれは型落ちではないかと前日確認に行った。エディオンではありがちなことだが、今回はそうではなく、現役機で、このタイプでは最新機だった。それで、昨日持ち帰った。最大の特徴は700グラムを切り、600グラム台。10インチノートはどうしても1キロを超える。それが約9インチだと、こんなに軽くなる。これは使っているときではなく、持ち歩いているときに効果が出る。鞄が軽くなるはず。
 買ったのは夕方前。暑いので、設定とかは面倒なので、ウインドウズが起動するところまでしかしていない。
 紙のマニュアルというのはなく、ペラッとした一枚の紙の裏表に最低限のことが書かれている。最初のウインドウズのセットアップだ。そして、補足事項。もし、こういう画面が出たら、こうするようにと。
 液晶の保護シールが貼られているが、これはただの保護ではなく、そのタブレットの、スイッチやボタン、穴などの説明が書かれている。見取り図のようなものだ。これは分かりやすい。このボタンは何か、この穴は何かが、矢印で示されている。図を見てではなく、現物の箇所を直接差しているためだ。これは当然剥がして使う。
 内部にリカバリー用プログラムが入っているらしく、その説明もある。中途半端に修復させるより、買った状態に戻した方が早かったりする。まあ、殆どないが。ハードは元には戻らないので、ソフトだけの話だが。
 アンドロイドタブレットとウインドウズタブレットとの値段が変わらない。ハード的には同じようなものだが。
 キーボードはカバー側にあるが、本体と磁石でくっつく。これが強力で、近付けただけで、吸い付く。かなり力を入れないと外れないほど。これが180度回転する。だから真後ろに倒すこともできる。ノートパソコンのようにして使う場合、すっと衝立を立てればいい。これが結構簡単で、すっきりとしている。ただ、後ろに10センチ近い隙間がいるが。
 膝の上に乗せてタイプすする場合は、衝立を立てなければ、安定する。キーボードもモニターも上を向いてしまうが。しかし、手で引き寄せればモニターは動く。180度回転なので。
 8.9インチと小さいので、キーの幅も狭くなる。しかし、英字キーは10インチノートとほぼ同じ。当然縦方面も短いので、組み合わせキーが多くなる。バックスペースキーはあるが、削除キーはFNキーを押しながら、とかになる。
 次画面前画面も単独ではない。しかし英字キーはしっかりと確保され、10インチ並にタイプができるので、窮屈さはないが、キーボードはカチッと手応えがある。ストロークは小さいが、確実に押せる。キーボードはの下に絨毯のようなものがある。キーボードを貼り付けているのだ。これはカバーでもある。セーム皮のような感触で柔らかい。折りたたむと、モニターごとサンドイッチになり、ブックカバー付きのノートのようになる。本の分厚さはない。ブックカバーだと、そのまま開いてしまうが、ノートパソコンではそれではまずいので、とじしろのようなものがある。これは使っているときは、キーボードの手前側に伸びており、手首の位置に来る。薄いがある方がいい。このとじしろのようなののもマグネットが仕込まれており、吸い付くように閉まる。それで、ブックカバーが開かなくなる。
 タブレット系端末では、外付けキーボードが多く売られている。その中で衝立式もある。その中でも優秀な部類だろう。シンプルで操作性がいい。衝立のとき、折りたたむのだが、それが自然にできる。
 これをノートパソコンとしてみた場合、非常に優れたケースになる。ファスナーもいらない。袋の中に入れなくてもいい。だから、鞄の中にそのまま入れられる。
 8.9インチでは画面が小さいというより、文字が小さくなるように思われたが、実際には9インチあるので、10インチとあまり変わらなかったりする。また、少し横長の比率のためか、高さを削った10インチと見てもいい。それよりも小さいが。
 これぐらいなら、文字の小ささは気にならないほどなので、一太郎を入れてもいいだろ。最初はエディターメインで使う気だった。テキスト打ち専用機として。
 ちなみに、このノート、国産だ。低価格ノートは台湾や中国製ばかりだが、普通の家電店であるエディオンに、このマウスコンピュータが、その隙間を狙って入り込んだ感じだ。
 このノート、長く使ってきたNECのアンドロイドタブレットに大きさ重さが似ている。キーボード付きのノートスタイルで、元を正せば名機モバイルギアだ。筆箱のような端末だった。
 これで、メインノートと、サブノートができた。メインノートはNECだが、たまにおかしくなる。
 このマウスのノート、電源ボタンの説明で、スリープではなく、一から起動するときは1分か2分かかるとなっている。そんなに早くなっているのだ。だからタブレットとして使えるのだろう。この前まで使っていたWindows機、起動まで15分かかった。だから、中身は似たようなWindows機だとタブレットは無理だと思っていたのだが、Windows10になって早くなった。だから、Windowsタブレットも可能になったのだろう。
 外での通信は通信カードが使える。それを突き刺すUSBの穴がない。小さいのだ。そのためか、大きい穴になるコードが付属している。さらに、このパソコンからUSB端末の何かに突き刺すコードも。薄く小さくしたためだろうか。SDカードもマイクロタイプになったが、外に逃がせるだけ、ましだ。
 ちなみにファイルはワンドライブか、オンドライブかは忘れたが、マイクロソフトのクラウドが使える。これは自動的に使えるので、既にそのファイルが新しいノート側に来ており、同期ができている。これがあるので、グーグルドライブや、その他の同期ソフトはいらない。設定なしで使えるためだ。
 このノート、起動したときのデスクトップ画面には何もない。ショートカットアイコンはハードのマニュアル。つまり取扱説明書で、これはPDFではなく、HTMLだ。
 暑い盛り、設定が面倒だ。しかし、鞄が軽くなる。
 
 
■■ 2016年07月02日 土曜日 午前7時08分
 
 今日は朝から暑い。夜になってもそれほど気温は下がらず、寝ているときも熱帯夜だった。この熱帯夜、昼間より暑そうだ。何せ熱帯なので。暑いのではなく、熱い。
 それで、寝起き行く喫茶店までの道も暑い。陽射しがあるためだろう。晴れているのだ。この分では梅雨明けしそうな雰囲気だが、天気予報では雲マークが続いている。これは曖昧な表示だ。晴れているが、雲が多いので、しっかりとは晴れないので、曇り空という意味だろうか。
 梅雨明けは例年いつ頃だろうか。これは場所によって違うのだが、二三日で一気に梅雨明けしたような気がする。南は除くが、というより、南は開けている。梅雨入りも例年いつ頃だろうか。これも記憶していない。全国同一ではないためと、連想する日にちがない。お盆頃とか、七夕頃とか。印象としては6月に梅雨入りし、7月には明けている。しかし、意外と7月での食い込みが大きかったりする。7月上旬の後半、だから中旬の手前までには明けそうだ。ただ既に明けているのに、梅雨明け宣言がないことがある。晴れているが梅雨前線がまだあったりするためだろうか。また、梅雨明け宣言した翌日、確実に雨になったりする。これを恐れてのことだろうか。
 梅雨の晴れ間で梅雨明け宣言し、次に降った雨は、梅雨の雨ではなく、普通の雨として扱えばいい。
 また梅雨明け宣言などせず、最近晴れが続いていると、感じれば、梅雨明けだ。これは感じるも何も、見たら分かる。傘がいらなかったりするので、具体的だ。
 
 アックスのつげ義春インタビューを読み終える。後半心霊に関する話になり、これだけを纏めたものを読みたいものだ。しかし、つげ義春本人はそういった体験はないらしい。体験とは幽霊を見たとかだ。
 死んでも魂は残る。という話だが、これは太古から長い間人々の関心事だったはず。死者をどうするかだ。当然死後、どうするかが問題になったりする。
 死ねば魂が抜ける話は、よく聞くし、映像でもよくある。透明になってスーと抜けていく。この透明状態が幽霊像と重なったりする。
 しかし、つげ義春は魂のようなものは波動だと言っている。これは物質で何でもいいから、一番小さいレベルまで落とせば、ただの波動になり、あったりなかったりする。固定物ではないのだ。それは生きている人間も同じ。固形物ではないものどうしで触るから固まりがあるように感じる。まあ、透明同士でも、密度があるので、ぶつかる。
 生き霊ではないものの、寝ているとき、魂が抜ける病気があるらしい。これを病気と言ってしまうのはどうかと思うが、寝ている姿を上から見ているのだ。これを体験した人を、友人で知っている。生きていても肉体から抜けるのだ。すぐに戻るが。抜けたことが分かるらしい。それは夢を見ていたのではないかといえばそれまでだが、この夢についてもつげ義春は興味深いことを言っている。寝ている状態は死んでいる状態と同じではないが、意識的には死んだも同然。ここで見る夢が魂が見ているものと近いのではないかと。要するに死後、夢を見ているようなものになる。ただ、この世は実は夢だったりするのだが。
 輪廻転生については、数が合わなくなる。人口が増えて、魂のストックがない。ただ、魂はお一人様一つとは限らない。分霊もありだったりする。
 つげ義春の、この霊魂に関する話は、普通の研究だろう。それで背後霊がどうの、死後のために、などと教祖のようなことは言い出さないと思う。
 夢、バーチャル。つげ義春の浮遊感が、そこにあったりする。
 つげ義春はそういった体験はないようだが、その作品にはある。それは読者が体験しているはず。それは、あの絵だ。情感の漏れが凄い。この世が波動なら、絵も波動。
 つまり、つげ作品というのは、一種の霊体験のようなものだったのかもしれない。読者にとって。
 
 若い頃から、払い続けていた国民カメラ年金がもらえるようになった。これで老後安心してカメラが買えるようになったのだが、いざ買うとなると、既に欲しいカメラはもう買っていた。さらに欲しい物はあるが、買ってもかまわないとなると、もったいなくて買えなかったりする。買ってはいけない状態のときほど買えたりする。
 これはカメラを買っているのではなかったのかもしれない。
 しかし、キタムラのパナソニックの1インチネオ一眼は気になるところだ。展示品特価で、早く買わないと、先を越される。
 

 


■■ 2016年07月01日 金曜日 午前7時04分
 
 今朝は曇っているが、雨が降っていないだけまし。天気予報を見ると、暑い日が一週間ほど続いている。全て30度越え。真夏日だ。太平洋高気圧が上がってきている絵がある。梅雨前線はそれで切れてしまうが、まだ残っているのか、一週間ほどは雲マーク。気温は高いが、晴れがない。大阪も32度の日があったりする。日差しなしで32度は難しい。だから、雲が切れて日差しが出たとき、この気温になるのだろう。ただ、晴れマークがあえてないのは、梅雨らしい。梅雨明けしていないためだ。大阪方面は。
 今日から7月。だから夏のように暑い日が続いてもおかしくない。夏は6月7月8月。夏の真ん中だ。8月が一番暑いと思っていたが、8月半ばのお盆を過ぎから秋の気配を感じる。7月はそんなことはない。6月は雨で寒い日もある。7月もなかなか梅雨が明けない年がある。さらに8月は夏休み。8月は全て休み。だから7月は序の口、夏の口で、まだまだ余裕のある夏休みの初め頃。このパターンがずっと残っているのだろう。だから、夏休みの始まる頃が、夏だと。夏休みにさえなれば、何とかなる。正月よりも、この夏休みが一番楽しみだった。一日遊んでいていいのだ。
 朝、いつまでも寝てられる。これほどの仕合わせはないだろう。今日だけではなく、次の日も、次の日も。
 ただ、8月31日はお通夜だ。
 
 アックスの特集で、つげ義春のインタビューがある。これは水木しげる、白土三平、桜井昌一など、懐かしい人達が出てくる。ガロ創刊あたりや、貸本屋時代、この時代が一番よかったのではないかと思える。当時のつげ義春は、結構明るいイメージがあり、単行本の写真も笑っている。これは何の本だったのかは忘れたが、西瓜酒などが乗っていた単行本だ。桜井さんの東考社(?)から出たのか、朝日ソノラマからは忘れた。そこから「手袋の怪」「ああ無情」「不死鳥を飼う男」などなどの単行本が出ていたので、通信販売で買った。夏の頃だ。それらは水木しげるが書いたものを集めたものだが、児童漫画賞を取ってすぐだろうか。
 当時、こちらは漫画同人会をやっており、肉筆回覧誌を辰巳ヨシヒロに送った。回覧誌なので、辰巳先生は次の人に送り返さないといけない。贈呈ではないのだ。肉筆なので。回覧順のラストが辰巳ヨシヒロ。そして、その回覧誌の後ろの方に、辰巳先生が書き込める白紙のページを挟んだ。飾りとかを付けて。当時の肉筆回覧誌は、感想などを書くコーナーがあった。
 流石に辰巳先生はそこには書き込まず、手紙と一緒に回覧誌を送り返してくれた。手間だっただろう。
 その文面は、漫画家としてやっていくことの困難さが書かれていた。回覧誌に載っている作品に対してではなく、漫画家、この場合劇画家だろうか。そして書き始めた頃が一番いい時代で、その頃が一番楽しいでしょう、などと書かれていた。
 その時代、もう貸本は難しくなっていた。末期の末期だろう。そのあたりの時代、ウロウロしていた人達。この時代の話が一番好きだ。それから何十年、その中の生き残りのつげ義春や白土三平が今語る、昔話が楽しい。それは、既に本になっていたりするのだが、インタビューなので、生々しい。
 白土三平、水木しげるより、つげ義春が先輩に当たる。デビューが早いのだ。これは意外だ。
 この中の一人の運命が、他の人の運命を変えている。もし水木しげるが児童漫画賞を取っていなければ、つげ義春は印刷工として終わっていたかもしれない。就職に行く、通り道、青林堂へ寄ったのが良かったのだろう。そこで水木しげるが忙しくなり、手伝いを求めていることを知る、と語っている。
 このアックスのインタビュー、その前は白土三平。この人は滅多に取材に応じないらしい。忍者武芸帳の影丸のような存在だ。ここでもつげ義春が出てくる。この時代から、この人には華があるのだろう。
 この人達の次の世代というか、次の時代の人達になると、漫画家の数も増え、中心になるような人がいなくなったような気がする。この時代が面白いのは、激動の時代のためだ。そのため実に美味しい時代。本当はいい時代だったのかもしれない。
 


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